フェミニズム映画の成功
アルテミジアの時代から
ユーディットは、旧約聖書に出てくるユダヤ民族の愛国の女傑であり、古代近東における抑圧者に対するユダヤ民族の戦いの象徴だそうだ。そのユーディットが、イスラエルの敵陣アッシリアの将軍の首を切り落とす構図がアルテミジアの秀作「ユーディット」である。
敵軍の将軍の首を切り落とすに際しユーディットは、策を弄した。敵軍ホロフェルネスにユダヤ人征服の策略をもちかけ、その美貌の虜となったホロフェルネスと二人きりとなった時を狙い、ホロフェルネスが酔いつぶれたときに一気に首を切り落とす。そして事件が発覚する前に急ぎ自陣に戻り、事件を知ったアッシリア軍は混乱に陥り、イスラエル軍に追撃され逃走してしまったというのだ。
アルテミジア・ジェンティレスキは、17世紀の画家で、映画「アルテミジア」は、そのいわば彼女の青春期の大きな事件を中心にアルテミジアが父の娘としてではなくて一人の画家として踏み出すあたりを描いている。
アルテミジアの父、オラーツィオ・ジェンティレスキは16世紀末のすぐれた画家であり、ローマの天才画家カラヴァッチオの強い影響を受けたと言われる。当時の画家とは家内工業であり、娘も自営業を手伝わせる感覚で手伝わせたにすぎない。家事労働と生殖以外に仕事を与えられなかった当時の女性としては幸運であったと言えるだろう。ところが、他の男の兄弟をさしおいてアルテミジアの画才は早くからその非凡さを発揮していた。その才能も父の娘の範囲内で終われば問題ない。しかし、アルテミジアを自身のライバルであるアゴスティ-ノに弟子入りさせたため、二人を引き裂く結果となる。
17歳の当時男性を知らなかったアルテミジアは自分の知らない科学的な画法を教えてくれる師匠、アゴスティ-ノに惹かれ、アゴスティ-ノは自分を越える才能を発揮するアルテミジアに惹かれる。処女であったアルテミジアがアゴスティ-ノの、男「性」の虜になるのには時間はかからなかった。しかし、二人の「純愛」を父オラーツィオは許さなかった。アゴスティ-ノを娘を強姦した罪で訴えたのである。当時のイタリアの結婚観、女性観といったのものはとても封建主義的だったことが伺われる。未婚の女性に「手を出した」アゴスティ-ノは、結婚することで責任をとるという形をとることもできた。しかし、彼にはフィレンツェに残してきた妻がいた。また、彼はフィレンツェでは妻の妹に「手を出す」など、性的にだらしないと暴露される。一方、アルテミジアも幼友達をモデルにして、男性の裸体をたくさん描いていたことがばらされ、これまた淫蕩のレッテルをはられる。
アゴスティ-ノは懲役刑を受け、アルテミジアは父によって裂かれた二人の愛情と画家としての師弟関係をあきらめ、独りの画家として自立する決意をする。
アルテミジアがアゴスティ-ノとの愛情と性欲の関係の中で画家として大きな飛躍をなしたことは疑いがない。すなわち、より力強い肉体の描写、迫力の形相など。父の下で基礎を学び、アゴスティ-ノに技法を学んだアルテミジアは、独り立ちした後多くの大作を描く。アゴスティ-ノと別れた後にも描かれた「ユーディットとホロフェルネス」は見る者を圧倒する。このユーディットはアルテミジア自身であるからだ。ダヴィデとともにイスラエルの民衆を救った女性の英雄、ユーディットのほかにもアルテミジアは数々の歴史上の女性を描いている。ヴィーナス、クレオパトラなど。つまり、アルテミジアの描く女性は自立し、その当時の社会のなかで何事にも媚びることなく屹立しているように見える。そうアルテミジアの描く女性はすべて強靱そのもので、アルテミジア自身がそうあったからだ。西洋美術史の中で初めて成功したすぐれた女性画家たる所以がそこにはある。
アルテミジアの評価ではなく映画の話に戻そう。女性監督アニエス・メルレの映像はフェミニズムの視点が色濃い。17世紀当時のローマ、女性は男の裸を見てはいけない(男性画家のモデルには全裸の女性がどんどん使われるのに)、女性はアカデミー(美術学校)には入学できない、自分で恋人や夫を選ぶことはできない。女性にとってできないづくしの社会でアルテミジアはどう描かれていたか。
こんなシーンがあった。壁画やフレスコ画などの大作に女性のモデルを使うのだが、下働きの者が素っ裸の女性を引き連れてくる。アゴスティ-ノ「痩せすぎだ。いらん」。また別の女性を引っ張ってくる。これも全裸のまま。連れてきてから着衣を脱がせるわけではない。モデルはモノなのだ。モデルになるような女性はモノなのだ。
また別のシーン。アゴスティ-ノを裁く法廷でアルテミジアは「性交はしていない。私は処女だ」と証言する。すると、法廷を簡単なカーテンで仕切っただけの一角でアルテミジアはベッドに開脚姿勢で寝かせられる。かなり年輩の修道女たちによる処女調べだ。ここでも女性はモノだ。当時の人権感覚からすると女性だけがこのような屈辱的な扱いを受けていたかどうかはわからないが、封建主義とは女性をモノ視することであることを語っている。
愛情も性欲も自ら獲得し、自身の芸術活動に昇華させていったアルテミジアをふたたび「できないづくし」の枠に押し込めようとしたのは、外ならぬ封建主義の象徴である自分の父親であった。しかし、恋人を失うと同時に父との縁も切るアルテミジアはその後成功する。女性が「父の娘」であるかぎり、自立はできない。自らの道は自ら選び取るものであること、そこには現実の社会からは非難されるような内容も含まれることも。
アニエス・メルレの映像は社会告発という形によらずとも、当時の社会の実相=キリスト教世界観に本源的に内包する女性蔑視、を描くことでフェミニズム映画として十分成功している。
同じヨーロッパ封建主義世界を描いても、男性の手によるものならばフェミニズム映画としては成功しがたい。大歴史絵巻の中の人物像か、ただ一組の男女のスーパー恋愛(または悲恋)物語に終始してしまうような気がするのだが言い過ぎだろうか。
参考文献 若桑みどり『女性画家列伝』岩波新書
ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』河出書房新社
アルテミジアの時代から
ユーディットは、旧約聖書に出てくるユダヤ民族の愛国の女傑であり、古代近東における抑圧者に対するユダヤ民族の戦いの象徴だそうだ。そのユーディットが、イスラエルの敵陣アッシリアの将軍の首を切り落とす構図がアルテミジアの秀作「ユーディット」である。
敵軍の将軍の首を切り落とすに際しユーディットは、策を弄した。敵軍ホロフェルネスにユダヤ人征服の策略をもちかけ、その美貌の虜となったホロフェルネスと二人きりとなった時を狙い、ホロフェルネスが酔いつぶれたときに一気に首を切り落とす。そして事件が発覚する前に急ぎ自陣に戻り、事件を知ったアッシリア軍は混乱に陥り、イスラエル軍に追撃され逃走してしまったというのだ。
アルテミジア・ジェンティレスキは、17世紀の画家で、映画「アルテミジア」は、そのいわば彼女の青春期の大きな事件を中心にアルテミジアが父の娘としてではなくて一人の画家として踏み出すあたりを描いている。
アルテミジアの父、オラーツィオ・ジェンティレスキは16世紀末のすぐれた画家であり、ローマの天才画家カラヴァッチオの強い影響を受けたと言われる。当時の画家とは家内工業であり、娘も自営業を手伝わせる感覚で手伝わせたにすぎない。家事労働と生殖以外に仕事を与えられなかった当時の女性としては幸運であったと言えるだろう。ところが、他の男の兄弟をさしおいてアルテミジアの画才は早くからその非凡さを発揮していた。その才能も父の娘の範囲内で終われば問題ない。しかし、アルテミジアを自身のライバルであるアゴスティ-ノに弟子入りさせたため、二人を引き裂く結果となる。
17歳の当時男性を知らなかったアルテミジアは自分の知らない科学的な画法を教えてくれる師匠、アゴスティ-ノに惹かれ、アゴスティ-ノは自分を越える才能を発揮するアルテミジアに惹かれる。処女であったアルテミジアがアゴスティ-ノの、男「性」の虜になるのには時間はかからなかった。しかし、二人の「純愛」を父オラーツィオは許さなかった。アゴスティ-ノを娘を強姦した罪で訴えたのである。当時のイタリアの結婚観、女性観といったのものはとても封建主義的だったことが伺われる。未婚の女性に「手を出した」アゴスティ-ノは、結婚することで責任をとるという形をとることもできた。しかし、彼にはフィレンツェに残してきた妻がいた。また、彼はフィレンツェでは妻の妹に「手を出す」など、性的にだらしないと暴露される。一方、アルテミジアも幼友達をモデルにして、男性の裸体をたくさん描いていたことがばらされ、これまた淫蕩のレッテルをはられる。
アゴスティ-ノは懲役刑を受け、アルテミジアは父によって裂かれた二人の愛情と画家としての師弟関係をあきらめ、独りの画家として自立する決意をする。
アルテミジアがアゴスティ-ノとの愛情と性欲の関係の中で画家として大きな飛躍をなしたことは疑いがない。すなわち、より力強い肉体の描写、迫力の形相など。父の下で基礎を学び、アゴスティ-ノに技法を学んだアルテミジアは、独り立ちした後多くの大作を描く。アゴスティ-ノと別れた後にも描かれた「ユーディットとホロフェルネス」は見る者を圧倒する。このユーディットはアルテミジア自身であるからだ。ダヴィデとともにイスラエルの民衆を救った女性の英雄、ユーディットのほかにもアルテミジアは数々の歴史上の女性を描いている。ヴィーナス、クレオパトラなど。つまり、アルテミジアの描く女性は自立し、その当時の社会のなかで何事にも媚びることなく屹立しているように見える。そうアルテミジアの描く女性はすべて強靱そのもので、アルテミジア自身がそうあったからだ。西洋美術史の中で初めて成功したすぐれた女性画家たる所以がそこにはある。
アルテミジアの評価ではなく映画の話に戻そう。女性監督アニエス・メルレの映像はフェミニズムの視点が色濃い。17世紀当時のローマ、女性は男の裸を見てはいけない(男性画家のモデルには全裸の女性がどんどん使われるのに)、女性はアカデミー(美術学校)には入学できない、自分で恋人や夫を選ぶことはできない。女性にとってできないづくしの社会でアルテミジアはどう描かれていたか。
こんなシーンがあった。壁画やフレスコ画などの大作に女性のモデルを使うのだが、下働きの者が素っ裸の女性を引き連れてくる。アゴスティ-ノ「痩せすぎだ。いらん」。また別の女性を引っ張ってくる。これも全裸のまま。連れてきてから着衣を脱がせるわけではない。モデルはモノなのだ。モデルになるような女性はモノなのだ。
また別のシーン。アゴスティ-ノを裁く法廷でアルテミジアは「性交はしていない。私は処女だ」と証言する。すると、法廷を簡単なカーテンで仕切っただけの一角でアルテミジアはベッドに開脚姿勢で寝かせられる。かなり年輩の修道女たちによる処女調べだ。ここでも女性はモノだ。当時の人権感覚からすると女性だけがこのような屈辱的な扱いを受けていたかどうかはわからないが、封建主義とは女性をモノ視することであることを語っている。
愛情も性欲も自ら獲得し、自身の芸術活動に昇華させていったアルテミジアをふたたび「できないづくし」の枠に押し込めようとしたのは、外ならぬ封建主義の象徴である自分の父親であった。しかし、恋人を失うと同時に父との縁も切るアルテミジアはその後成功する。女性が「父の娘」であるかぎり、自立はできない。自らの道は自ら選び取るものであること、そこには現実の社会からは非難されるような内容も含まれることも。
アニエス・メルレの映像は社会告発という形によらずとも、当時の社会の実相=キリスト教世界観に本源的に内包する女性蔑視、を描くことでフェミニズム映画として十分成功している。
同じヨーロッパ封建主義世界を描いても、男性の手によるものならばフェミニズム映画としては成功しがたい。大歴史絵巻の中の人物像か、ただ一組の男女のスーパー恋愛(または悲恋)物語に終始してしまうような気がするのだが言い過ぎだろうか。
参考文献 若桑みどり『女性画家列伝』岩波新書
ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』河出書房新社