kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ゴシックを回る旅 1

2009-08-18 | 美術
 中世とは「中間の時代」すなわち、古代と近代にはさまれた時代を言い、西洋では産業的にはともかく、文化的にはルネサンス期以降を近代と見なすことから、中世は15世紀以前を指すものとされる。かように中世とは古い時代を指すものだが、先に文化的にと述べたが、日本ではルネサンス期の美術こそ、ダ・ヴィンチであるとか、ミケランジェロであるとか、ボッティチェリであるとか、ある程度親近感があるように見える。しかし、それ以前となるとどうか。
 さきに文化的にはと述べたのは、政治的には西ローマ帝国の滅亡(476年)から中世と指すようなので、キリスト教が大きく普及(313年 ミラノ勅令で公認以降か。ちなみにローマ帝国によって国教とされたのは380年)したとされる3~4世紀以降ルネサンス期までを中世と呼ぶようなのでそれに従うこととする。では、私たちはルネサンス期以前のキリスト教美術をどれくらい知っているであろうか。
 ゴシック建築は、キリスト教がヨーロッパの多くの人の心をとらえ、教会が肥大化するまさにその時期に花開いた傲慢ともまみえるほどの巨大美術の粋である。それは12世紀のロマネスクの時代のようにあちこちの村々で普段着の信仰とも言える身近さではない、いわば、司教という権威が大きな都市を支配し、かつ、信者を護り、支配する機能としての建造物。それが大聖堂なのである。
 順番に見ていこう。
 ランス大聖堂は、フランス歴代の王の聖別、戴冠式を行ったところであり、シャンパーニュ地方の中心地にある。もちろん大聖堂自体がカテドラル(司教座)であるから、都市にいくつもあるわけではない。そして中でもランスはその筆頭ということである。ランス大聖堂は、フランスのゴシック建築の中でとりわけ大きい方ではない。しかし、ゴシック建築の粋であるシャルトル大聖堂の様式を発展させたとされるランスは、ステンドグラスも18世紀に透明ガラスに換え、それが幸いにしてというわけではないが、第1次大戦後に修復された部分も大きく、現在、その美しい様相を保っているのは僥倖である。
 ランスといえば、ジャンヌ・ダルクであるが、ジャンヌがランス入りしたのも、シャルル7世を戴冠させるためであったらしいが、イギリスに負けていたフランスの王が正式な王として認められるためには、ランスで戴冠する必要があったというランス大聖堂の重要性がここでも証されるのである。結局、ジャンヌは因えられ、イギリス側によって火刑に処せられるが、フランスがボルドーの地を奪回し、最終的に百年戦争に勝利するのはそれよりわずか10年ほど後のことである。そして、ルネサンスを目前にして、ゴシックの時代も終わりを告げていたのであるから、ヨーロッパの政治史が文化史と不可分であるとの初学者知識を満足させてくれるだけの物語をランス大聖堂は有している。
  次に訪れたのは大聖堂の中の大聖堂シャルトルである。(写真はランス大聖堂正面入口の「微笑みの天使像」)
コメント (1)
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