『諸君!』も『正論』も実は読んだことがない。だから、『諸君!』が2009年に休刊したのは知っていたが、『諸君!』が69年、『正論』が73年に創刊したことなど知らなかった。73年といえば筆者もまだ小学生である。さすがに小学生のころ『諸君!』や『正論』のことを知らなかったが、亡くなった父が『文藝春秋』をよく読んでいたのは覚えている。父が『諸君!』や『正論』を読んでいたかどうか定かではないが、多分読んでいなかったと思う。貧乏サラリーマンがいくつもの月刊誌を読んでいたとも思えないし、父なりに『諸君!』や『正論』は、バランス的に合わなかったのかもしれない。
父の話を持ち出したのはほかでもない。『諸君!』、『正論』が当初の発行段階、70年代のオピニオンとかなり変節したのが、本書で明らかになっているからだ。象徴的なのが、日本の中国侵略に対する認識。渡部昇一でさえ「日本がアジアの大陸や諸島を侵略したのは確かである」「日本が大陸に侵入し侵略し、征服したことは一点の疑念もない」と述べていたのに(『諸君!』82年10月号、本書p.338~339)、2誌が極右旋回する中で、日本のアジア侵略そのものも否定するようになることだ。そう、両誌とも「保守派」、「左翼勢力に対する対抗軸」といいながら、それなりに論理的、バランスのとれた論考も掲載されていたのに、論理ではなく情念、冷静な現状分析というよりイデオロギーが先行していく。そして、論理や冷静な現状分析、歴史認識を持とうとするメディアに対して憎悪をむき出しにしていく。その槍玉、攻撃目標にあがったのが「朝日新聞」である。
本書の著者は『論座』の編集長でもあった現役の朝日新聞編集委員。『諸君!』、『正論』に対し、反論、自社擁護、正当化の論陣を張ろうとした意図が微塵もなかったとも思えないが、戦前、戦後の安保時代等、その時々の朝日の姿勢にも批判を向けているので、自社可愛さばかりで本稿を上梓したとも思えない。純粋に、なぜ両誌は朝日を攻撃し、その論調はどう醸成され、変節していったか描きたかったのであろう。だから、両誌の過激さが増していく象徴的な語、メルクマールとなる出来事にも慎重に筆を運んでいる。
靖国神社のA級戦犯合祀、「東京裁判史観」、富田メモ。保守とは本来、現状に細心の注意をはらい、現実主義的に対応、急激な変化を望まず、ときに折衷・懐疑主義であって、デマゴギーやプロパガバンダに流されない思想であるはずだ(中島岳志の論をKENROが勝手に解釈)。「保守派でいきましょう」(『諸君!』創刊の経緯で池島信平(文藝春秋の編集局長)の発言。本書P.29)と保守を自認、のちに『諸君!』を追いかける形で産経新聞社から発行された『正論』も、あくまで親米が基本であり、「反共」は明確にしていたが、その後の右派的言辞までは包摂するものではなかった、というのが本書の基本論調である。そして、論理的、冷静な言は消え失せ、非難(もちろん主に朝日に対するそれ)、怒号、アジテーション的とも思える劣化した言辞に堕したのは何故か。
戦争認識。歴史認識。「認識」するためには客観的な歴史研究が必要で、その研究の上で「評価」があることは論を待たない。しかし、評価には歴史とともに国際情勢、政治・社会情勢等現実とも無縁ではない。けれどオピニオン誌を自負している以上、情念ではなく、イデオロギーではなく、合理的と考えうる論理が先行すべきではないか。『諸君!』は休刊したが、その後右派論壇誌は数多く出版されてきた。『SAPIO』、『WiLL』、『Voice』…。『文藝春秋』も健在である。しかし、総じて、元気とは言えない。これら右派雑誌に攻撃されることの多い朝日、『世界』も部数的には厳しい状況が続く。
論争の全き不在。橋下大阪市長に典型的にみられるデマゴギーとプロパガンダが支持される昨今に、冷静で論理的な論壇が、左右、というか保守・革新とも不在であるのは不幸であることに変わりない。
父の話を持ち出したのはほかでもない。『諸君!』、『正論』が当初の発行段階、70年代のオピニオンとかなり変節したのが、本書で明らかになっているからだ。象徴的なのが、日本の中国侵略に対する認識。渡部昇一でさえ「日本がアジアの大陸や諸島を侵略したのは確かである」「日本が大陸に侵入し侵略し、征服したことは一点の疑念もない」と述べていたのに(『諸君!』82年10月号、本書p.338~339)、2誌が極右旋回する中で、日本のアジア侵略そのものも否定するようになることだ。そう、両誌とも「保守派」、「左翼勢力に対する対抗軸」といいながら、それなりに論理的、バランスのとれた論考も掲載されていたのに、論理ではなく情念、冷静な現状分析というよりイデオロギーが先行していく。そして、論理や冷静な現状分析、歴史認識を持とうとするメディアに対して憎悪をむき出しにしていく。その槍玉、攻撃目標にあがったのが「朝日新聞」である。
本書の著者は『論座』の編集長でもあった現役の朝日新聞編集委員。『諸君!』、『正論』に対し、反論、自社擁護、正当化の論陣を張ろうとした意図が微塵もなかったとも思えないが、戦前、戦後の安保時代等、その時々の朝日の姿勢にも批判を向けているので、自社可愛さばかりで本稿を上梓したとも思えない。純粋に、なぜ両誌は朝日を攻撃し、その論調はどう醸成され、変節していったか描きたかったのであろう。だから、両誌の過激さが増していく象徴的な語、メルクマールとなる出来事にも慎重に筆を運んでいる。
靖国神社のA級戦犯合祀、「東京裁判史観」、富田メモ。保守とは本来、現状に細心の注意をはらい、現実主義的に対応、急激な変化を望まず、ときに折衷・懐疑主義であって、デマゴギーやプロパガバンダに流されない思想であるはずだ(中島岳志の論をKENROが勝手に解釈)。「保守派でいきましょう」(『諸君!』創刊の経緯で池島信平(文藝春秋の編集局長)の発言。本書P.29)と保守を自認、のちに『諸君!』を追いかける形で産経新聞社から発行された『正論』も、あくまで親米が基本であり、「反共」は明確にしていたが、その後の右派的言辞までは包摂するものではなかった、というのが本書の基本論調である。そして、論理的、冷静な言は消え失せ、非難(もちろん主に朝日に対するそれ)、怒号、アジテーション的とも思える劣化した言辞に堕したのは何故か。
戦争認識。歴史認識。「認識」するためには客観的な歴史研究が必要で、その研究の上で「評価」があることは論を待たない。しかし、評価には歴史とともに国際情勢、政治・社会情勢等現実とも無縁ではない。けれどオピニオン誌を自負している以上、情念ではなく、イデオロギーではなく、合理的と考えうる論理が先行すべきではないか。『諸君!』は休刊したが、その後右派論壇誌は数多く出版されてきた。『SAPIO』、『WiLL』、『Voice』…。『文藝春秋』も健在である。しかし、総じて、元気とは言えない。これら右派雑誌に攻撃されることの多い朝日、『世界』も部数的には厳しい状況が続く。
論争の全き不在。橋下大阪市長に典型的にみられるデマゴギーとプロパガンダが支持される昨今に、冷静で論理的な論壇が、左右、というか保守・革新とも不在であるのは不幸であることに変わりない。