草間彌生の作品を見ていて、前から感じていたこと、そして、今回改めて確認したことがある。それは草間の作品に流れるアール・ブリュットのテイストである。アール・ブリュットとは、ジャン・デュビュッフェが精神障がい者や知的障がいのある子どもらの描くアートを「生の芸術」と名付け、その独創性を紹介、発表の場をつくった障がい者芸術へ世間の目を向けさせた成功譚である。成功譚と記したが、デュビュッフェの功績は美術の世界以外ではもちろん知られていない。ローザンヌにあるアール・ブリュット美術館に行けば、障がい者芸術の深さと広さにまみえることができるのだけれども(アール・ブリュット美術館探訪は残念ながらスイス美術紀行では触れていないが、魅力ある小さな美術館である。)
で、草間彌生である。強迫神経症だとか、偏執狂疾患であるとか草間を精神(医または心理)学的に解説する言説も少なくないが、ある部分あたっていて、また、であるからどうなのだというのが、今回の展覧会でも明らかになった。
草間はかなり早い時期から水玉、ドットにこだわりその緻密さたるや凡人が思う根気を超えて強迫神経症と診断されても無理もない。点描派のスーラは34歳で亡くなったのを、あのような根を詰めてすることがよくないと、半ば冗談で言っていたが、草間は現在82歳。そして、いつまでも生き! 作品に愛を込めるという。今回の展覧会のために連作された「愛はことしえ」。細密画のごとく丹念に筆を入れ、「永遠の魂」を実感し、平和を愛し、地球を思う。草間は絵描きであるとともにすぐれた詩人でもある。アメリカ生活が長い人だが、もちろん日本語能力も高い。いや、20代で親の反対を押し切って渡米し、ニューヨークを拠点に芸術活動をはじめた草間にとって日本は長らく遠い存在だったに違いない。アメリカでハプニングや既成のイクシビションに殴り込みをかけた苛烈さとは反対に驚くべき繊細さを持って2次元画面にも没頭してた姿勢がよくわかる。2次元画面と言ったが、草間の長年のパートナーはジョゼフ・コーネル・そう、コーネルのボックスのコーネルである。ボックスという3次元で、それでいて、限られた空間で表現をつくしたコーネルとパートナーであったことはなにか意義深い。
コーネルの死後帰国した草間は精力的に活動を続けるが、前衛美術は一般的に日本で分が悪い。横浜トリエンナーレでの複数回の出展、各地の芸術祭でのあの水玉カボチャの出現などで、徐々に名声を高めた草間の82歳の挑戦。今回、出展されたほとんどの作品が本展のためにドローイングされた新作であるというのであるから驚く。美しく、分かりやすく、楽しい。
草間という人は色、そしてフォルムについてはタブーや固執がないと思えるほど、色とりどりの自由さに、それらを彩る形態の自由さに感嘆させられる。過去にはザーメンや男根にこだわったかのようにまみえた男性性偏執狂と評された作品も多かったが、もう草間には「愛」があるだけである。
変な言い方だが、アール・ブリュットはちょっと、まだ、ついていけないと審美眼において自己の壁を作るご仁にぜひ見てほしい。草間のアブストラクトは十分に踊っていると、感じられるだろう。(「人間の一生」)
で、草間彌生である。強迫神経症だとか、偏執狂疾患であるとか草間を精神(医または心理)学的に解説する言説も少なくないが、ある部分あたっていて、また、であるからどうなのだというのが、今回の展覧会でも明らかになった。
草間はかなり早い時期から水玉、ドットにこだわりその緻密さたるや凡人が思う根気を超えて強迫神経症と診断されても無理もない。点描派のスーラは34歳で亡くなったのを、あのような根を詰めてすることがよくないと、半ば冗談で言っていたが、草間は現在82歳。そして、いつまでも生き! 作品に愛を込めるという。今回の展覧会のために連作された「愛はことしえ」。細密画のごとく丹念に筆を入れ、「永遠の魂」を実感し、平和を愛し、地球を思う。草間は絵描きであるとともにすぐれた詩人でもある。アメリカ生活が長い人だが、もちろん日本語能力も高い。いや、20代で親の反対を押し切って渡米し、ニューヨークを拠点に芸術活動をはじめた草間にとって日本は長らく遠い存在だったに違いない。アメリカでハプニングや既成のイクシビションに殴り込みをかけた苛烈さとは反対に驚くべき繊細さを持って2次元画面にも没頭してた姿勢がよくわかる。2次元画面と言ったが、草間の長年のパートナーはジョゼフ・コーネル・そう、コーネルのボックスのコーネルである。ボックスという3次元で、それでいて、限られた空間で表現をつくしたコーネルとパートナーであったことはなにか意義深い。
コーネルの死後帰国した草間は精力的に活動を続けるが、前衛美術は一般的に日本で分が悪い。横浜トリエンナーレでの複数回の出展、各地の芸術祭でのあの水玉カボチャの出現などで、徐々に名声を高めた草間の82歳の挑戦。今回、出展されたほとんどの作品が本展のためにドローイングされた新作であるというのであるから驚く。美しく、分かりやすく、楽しい。
草間という人は色、そしてフォルムについてはタブーや固執がないと思えるほど、色とりどりの自由さに、それらを彩る形態の自由さに感嘆させられる。過去にはザーメンや男根にこだわったかのようにまみえた男性性偏執狂と評された作品も多かったが、もう草間には「愛」があるだけである。
変な言い方だが、アール・ブリュットはちょっと、まだ、ついていけないと審美眼において自己の壁を作るご仁にぜひ見てほしい。草間のアブストラクトは十分に踊っていると、感じられるだろう。(「人間の一生」)