実は今回の旅行では、風邪をひいて、おなかを壊してしまい、結構大変な旅になってしまった。夜行列車でリスボンに着いた日は旧市内を回る路面電車に乗り、夜はよいワインバーに行くなど充実していたのだが、翌日にダウンした。結局お目当てだったうちグルベンキアン美術館と国立古美術館には行けたのだが、それ以外は行けなかった。まあ、リスボンにはそもそも大きな美術館はないようであるが。
グルベンキアン美術館はおそらくポルトガルで一番有名、かつ所蔵作品も秀でているが、規模はそれほどでもない。アルメニア人の富豪カロウステ・グルベンキアンはアメリカの富豪と同じように石油で財を成し、蒐集したのはバロック期をはじめ印象派、近代のヨーロッパ絵画、中国磁器をはじめ東洋の作品の数々。なかでも絵画ではなく、ルネ・ラリックのガラス作品群は一室をなし目を引く。冬期であったためか、閉鎖している部屋も多く、すべてが見られなかったのが残念。
国立古美術館はグルベンキアンより大きい。テージョ川を見下ろす高台にあり(リスボンは坂の街で大変だ)、建物の雰囲気もいい。メムリンクなど北方ルネサンスの画家、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなど隣のスペイン巨匠、そしてボッシュやデューラーの作品もあって、プラドなどと比べればもちろん規模は小さいが十分楽しめるコレクションである。ポルトガルは鎖国していた日本とも交易があった国。南蛮美術として狩野派の屏風絵や掛け軸もあるが、門外漢でさっぱり分からない。ポルトガルを代表する15、6世紀の絵画もあるようだが、恥ずかしながらポルトガルの画家は全く知らなくて、キリスト教美術の巾の広さを改めて思い知るばかりだ。
バルセロナにはカタルーニャ美術館という中世キリスト教美術の殿堂があるが、ポルトガルもカソリックの国。初期ルネサンスの祭壇画や装飾品もあるが、装飾品は絵画以上に鑑賞が難しいというのが実感。キリスト教的寓意が彫られているとは限らず、その巧緻を時代区分によって確認できる眼力が試されるがもちろんギブアップ。グルベンキアンもそうであるが、館内の配置や照明、係員の所作などが洗練されているとは言いがたい。係員が通路でおしゃべりしていて邪魔になったり。まあ、それもお愛嬌。ポルトガルはおそらくは二度と来ることはないだろう。今回、体調を崩したのは、ポルトガルに来たのに、聖地ファティマに詣でなかったからと冗談で言っているが、偶像崇拝を許す国?の美術は何回見ても興味深い。(ルーベンス「ヘレナの肖像」グルベンキアン美術館)
グルベンキアン美術館はおそらくポルトガルで一番有名、かつ所蔵作品も秀でているが、規模はそれほどでもない。アルメニア人の富豪カロウステ・グルベンキアンはアメリカの富豪と同じように石油で財を成し、蒐集したのはバロック期をはじめ印象派、近代のヨーロッパ絵画、中国磁器をはじめ東洋の作品の数々。なかでも絵画ではなく、ルネ・ラリックのガラス作品群は一室をなし目を引く。冬期であったためか、閉鎖している部屋も多く、すべてが見られなかったのが残念。
国立古美術館はグルベンキアンより大きい。テージョ川を見下ろす高台にあり(リスボンは坂の街で大変だ)、建物の雰囲気もいい。メムリンクなど北方ルネサンスの画家、ベラスケス、ムリーリョ、スルバランなど隣のスペイン巨匠、そしてボッシュやデューラーの作品もあって、プラドなどと比べればもちろん規模は小さいが十分楽しめるコレクションである。ポルトガルは鎖国していた日本とも交易があった国。南蛮美術として狩野派の屏風絵や掛け軸もあるが、門外漢でさっぱり分からない。ポルトガルを代表する15、6世紀の絵画もあるようだが、恥ずかしながらポルトガルの画家は全く知らなくて、キリスト教美術の巾の広さを改めて思い知るばかりだ。
バルセロナにはカタルーニャ美術館という中世キリスト教美術の殿堂があるが、ポルトガルもカソリックの国。初期ルネサンスの祭壇画や装飾品もあるが、装飾品は絵画以上に鑑賞が難しいというのが実感。キリスト教的寓意が彫られているとは限らず、その巧緻を時代区分によって確認できる眼力が試されるがもちろんギブアップ。グルベンキアンもそうであるが、館内の配置や照明、係員の所作などが洗練されているとは言いがたい。係員が通路でおしゃべりしていて邪魔になったり。まあ、それもお愛嬌。ポルトガルはおそらくは二度と来ることはないだろう。今回、体調を崩したのは、ポルトガルに来たのに、聖地ファティマに詣でなかったからと冗談で言っているが、偶像崇拝を許す国?の美術は何回見ても興味深い。(ルーベンス「ヘレナの肖像」グルベンキアン美術館)