kenroのミニコミ

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アメリカ東海岸美術館巡り2013 4

2013-01-16 | 美術
白状すると、日本で西洋絵画の人気はイコール印象派人気であって、キリスト教美術を解さない日本人が、その逃げ道として印象派を必要以上にありたがっているのではいか、とひねくれると同時に「本当に面白いのはキリスト教美術なのに」と少し傲慢な態度でこれまで印象派絵画には接してきた。「馬鹿にしていた」わけである。今回、バーンズ財団美術館を訪れて、これまでの自分の傲岸さと不明を反省しなければならないと思った。
1994年に国立西洋美術館でバーンズ・コレクション展として開催されたとき、たまたま東京に行っていたが、入場3時間以上待ちだとかにおののいて、入らなかった覚えがある。その時はバーンズ・コレクションのなんたるかも知らず「なぜこんなに人気があるのかな」と能天気に思っていたのだ。しかし、今ならあれだけ人気があった理由も分かるし、バーンズ・コレクションの貴重さも分かる。敵のように集めまくったルノワール、セザンヌ、マチス、スーチン…。冗談ではない「敵」としか思えないほどの蒐集ぶり。例えば、入った部屋、進んだ部屋からルノワールがなくならないのだ。こちらもルノワール、おっとセザンヌも尽きない。最初の部屋の右にはっとするほど美しいのはスーラの「Models(「裸婦たち」とか「ポーズする女たち」と紹介される)」。スーラがわずか31歳で亡くなったのは、あのような根を詰めた作品を描いたからだと思わずにいられないほど精緻に構成されている。200×250mの大作であり、作品数の少ないスーラのなかでも間違いなく傑作である。スーラを左に部屋(MAIN ROOM)の正面に向かうと、入口のすぐ上にはセザンヌ、左右にルノワールが10点ほど、ルノワールの間にセザンヌも10点ほど。部屋反対側は左にマチスのSeated Riffan、右にピカソのComposition、そして上部にはマチスの巨大なThe Dance。ふう~、こんな狭い展示空間にため息の出る作品群。そう、バーンズ財団美術館はどの部屋もそれほど広くなく、2フロアで20室ほど。しかし、そのコレクションのすごさもさることながら、展示方法がユニーク。先ほど述べたようにルノワールとセザンヌが混ぜて、それも上下左右に、展示されているわ、ハルスの左右にセザンヌがあったり、アンリ・ルソーの下にはイスラム調のテーブルがあったり。そう、時代や関連性を無視しているように見える展示なのだ。しかし、これは美術館の創始者アルバート・クームズ・バーンズの美意識、発想の豊かさと見ていいだろう。冒頭、印象派を軽くみていた自身を反省したが、ルノワールやセザンヌの技量は、これだけそろっているとよく分かるし、モネやドガ、そして後期印象派、新印象派などを含めて、印象派が絵画の世界を変えたのは間違いない。そう、印象派は絵画の世界を分かったのに間違いない。
1974年モネの「印象・日の出」で始まった印象派は、アカデミーなど旧来の画壇に酷評されながらも、その足取りを着実に広げてきた。生前には全く評価されなかったゴッホや、子どもでももっとましな絵を描くとコケにされたアンリ・ルソーなどフォーブの黎明は後に20世紀豊かな近代絵画の世界に道筋をつけた。しかし、フランス国内よりも、いやヨーロッパ中を集めても、アメリカにある印象派やそれに続く近代絵画の方が多いのではないかと思うほどのすさまじいコレクションである。その筆頭がバーンズだ。アメリカの金持ちが買い漁ったから、印象派の価値が上がり、また注目されたというまるで現代の未公開株の仕手戦のような趣もある。しかし、であるからといって、ルノワールやセザンヌの仕事の評価は下がらない。たくさん、見てはじめて分かる印象派とその評価の本質に出会えたような気がした。(バーンズ財団美術館)
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