無垢な村娘であったジゼルが、身分を偽りジゼルに近づいた貴族のアルブレヒトに恋したときは、なんの、けれんみのない明るいダンスであったのが、アルブレヒトの本心を知り、自死したあとの死霊となったあとは重く舞う。アルブレヒトは死ぬまで踊り続ける魔術にかけられる。バレエ「ジゼル」のあらすじはこんなに簡単だが、天真爛漫な村娘から、死女を演じる落差に演者の技量が問われるとても難しい役どころと言われる。
イギリス、ロイヤル・バレエ団のジゼル、西宮(県立芸術文化センター)公演。ジゼルを演じたマリアネラ・ヌニェスの笑顔はとてもかわいらしく、無垢な村娘のよう。しかし第2幕のそれは一変する。貞子に変身する。アルブレヒトに死ぬまで舞う呪術をかけた死の精の女王ミルタに対峙し、アルブレヒトを死の淵から救おうとするジゼルには死した者にしか持ちえない狂気を感じられる。情感豊かなのだ。アルブレヒト役のワディム・ムンギンタロフにしてもそう。全編をとおして情感豊かな演出とダンサーの表情。ヨーロッパやアメリカのカンパニーは群舞が(日本のカンパニーに比べて)そろわないと言われるが、ロイヤルもそう。しかし、少しの(見方によるが)そろわなさは問題ではない。コールドバレエは、そろっていないイコール美しくないのではない。美しいと感じたとき、それはそろっているかそろっていないかというチマチマしたことはどうでもよくなるということだ。
さきほど情感豊かと記したが、ジゼルだけではない、ジゼルに恋し、アルブレヒトが王子である秘密を暴き、最後にはミルタら死の精霊に命を落とす村の森番ヒラリオン。アルブレヒトに比べて野卑なヒラリオンも死ぬ前の舞がすばらしい。群舞も含めて総じてどのダンサーも力量が高く、それゆえ高い安心を得られる。
クラシックバレエの物語は多くの場合他愛ない。ジゼルもそう。しかし、その他愛なさを豊かに、ときに複雑に表現することができるかがダンサーの実力だ。今回のプリンシパルであるマリアネラ・ヌニェスはその複雑さを演じ分けて見せた。そして脇を固めるファースト・ソリストたち。ロイヤルがロイヤル足り得るのは、この層の厚さにある。クラッシックをクラッシックのまま演じられるのは、そもそもマリウス・プティパの振り付けであるからだそうだが、ピーター・ライトの演出は、その古典的作法に忠実であり、それはあらゆる場面で活かされている。その演出を一人ひとりのダンサーが理解し、獲得し、そして組織となっているところがすごい。さきほど他愛ないと書いたが、説得力をもって他愛ないといえばよいだろうか。
いずれにしても演目的に3大バレエの次に人気があり、親しみやすいジゼルは、古典の王道たるロイヤルのそれが見飽きないのは確かだ。