映画は5月公開なので、テレビ用に制作されたバージョンを紹介する。
サーリャは17歳のクルド人の高校生。父マズルム、中学生の妹アーリン、小学生の弟ロビンと埼玉県で暮らす。家族の難民申請が不認定とされたことで、全員ビザを失う。不法滞在状態となったマズルムは、仮放免中に就労したことで入管施設に収容され、サーリャもコンビニのバイトをクビになる。収入を絶たれた一家の明日は。
昨年3月に名古屋入管に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが、重病であったにもかかわらず適切な医療を受けられたなかったことで亡くなった事件は大きく報じられ、日本の入管行政の問題点がクローズアップされた。しかし、ウィシュマさんの死から1年経つのに現状は何も変わっていない。むしろ、日本の難民認定率の低さやその背景といった根本的な問題より、ウィシュマさんが政治難民でなはなくDV被害者だったことから、個別の問題として取り上げられがちのようにも見える。もちろんウィシュマさんへの入管の対応のひどさが明らかになり、それが改善することに越したことはない。しかし、罪を犯したわけでもないのに、ウィシュマさんをはじめ多くの外国人が入管に長期収容されているか、一旦収容を解かれてもすぐに収容される実態など、その反人権政策は追及、改善されていない。
日本に逃れてくる難民は、大人は自己の意志で日本を選び、祖国を出たのかもしれないが、子どもは自己の意志ではない。そうするとサーリャのような祖国の記憶のない者は自己のアイデンティティをどう認識、形成すればよいか。ましてやロビンのように日本で生まれた子どもらは。アイデンティティの形成には自己の居場所が不可欠だ。しかし、ビザを取り上げられ、そのために就労も進学もできず、移動も許されない存在に尊厳など持てるだろうか。尊厳が壊されれば居場所を欲する、得る意欲も失われるのは明らかであるし、そもそも日本は彼らが居場所を持つことを許さない。
国も民間企業もSDGs(持続的な開発目標)への取り組みを盛んに喧伝する。SDGsの中には「誰一人取り残さない世界の実現」もあり、そこには難民の人権保障も当然含まれる。しかし、現在継続中の人権侵害を改善しようともせず、その着手する動きもない。そのような状況であるのに、ウクライナ避難民が日本に来た場合は、入国許可や滞在などについて速やかに便宜を図るという。難民の種類に優劣をつけること自体が人権侵害であり、差別であることは言を俟たない。
本国で反政府デモに参加したことで祖国を追われたマズルムは、帰国すれば刑務所に収監されることは明らかだ。いや、拷問や命さえ奪われかねない。けれど、自分が帰国することで未成年の家族にビザが降りた例があると知り、子どもたちのために帰国を決意する。映画ではもっと詳しく、その後も描かれるかもしれないので必見だ。
イラン・イラク戦争で両親と生き別れ、その後養母と来日した女優のサヘル・ローズがサーリャらを助ける役で出演している。養母につけられた名前であるサヘル・ローズとは「砂漠に咲く薔薇」の意であるそう。薔薇にはイバラがつきもの。しかし、サーリャらに少しでもバラ色の人生を感じてほしいし、微力ながら支援していきたい。