もうずいぶん前に亡くなった私の父の口癖、子どもだった私に対する評は、いつも「理屈が多すぎる」だった。何か口答えしようものなら「理屈を言うな!」。彼の言う「理屈」とは何なのか? なぜ「理屈」を言ってはいけないのか? 多ければいけないのか?一切の説明はもちろんない。私がきちんと反論できるようになった時は、彼はもう衰えていた。
父のような戦前生まれ、それも大正時代に生まれた男性の多くはそのような思考傾向が多いのかもしれない。何せ、時代は自分でものを考えることを許さない天皇制軍国主義の下、一兵卒として従軍した父も「理屈」抜きに先輩兵から殴られたこともあったろう。「理屈」抜きに、大陸で中国人を殺したり、殺す場面に遭遇したり、同僚が斃れた姿も目にしたかもしれない。「理屈」の通じない世界をくぐり抜けてきたと言える。そこは紛れもなく言葉ではなく暴力が支配する世界であった。
従兄弟同士でよく喧嘩するディランとコナーを前に、ケヴィン校長がなぜ暴力を振るったのか聞くと、ディランが「だって、パパがいつも言ってる。“相手がかかってきたら必ず殴り返せ”。」ここでケヴィン校長がディラン役(D)、ディランが父親役(F)になり、即行のサイコドラマを演じる。D「親父は殴り返した時、どんな気持ちだった?」F「自慢と、少し心残り」D「どんな心残り?」F「昔一度誤って違う相手を殴ってしまった」D「どんな気がした?」F「いい気はしない」D「どんな気持ちだった?」F「申し訳ない…悲しい気持ちかな」D「そうなんだ、俺も殴った時、相手と同じ気分になった。それが嫌なんだ。昔は厳しい環境だったから殴ったんだろうけれど、俺は誰も殴りたくない。先生や仲間、親父と話して解決したい。だから、親父も俺に“殴れ”と言わないでほしい」F「そうか、わかった」D「俺のこと嫌いになる?」F「いいや、まさかそんな」D「親父、大好きだよ」
(パンフレット訳文から抜粋、意訳)
この映画の焦眉で、かつとても素敵なシーンだ。
舞台は北アイルランドのベルファスト。それもプロテスタント系住民とカトリック系住民が激しく争ったアードイン地区。そこにホーリークロス男子小学校はある。れっきとしたパブリックスクールだ。しかしこの学校が他校と大きく違うのはケヴィン校長主導で「哲学」の授業と日々の実践があること。紛争が一応「停戦」に落ち着いたベルファスト合意が1998年。しかしその後もホーリークロス女子小学校事件(通学するカトリック系の子どもたちをプロテスタント系住民が激しく罵倒、通学妨害。2001年)など紛争が完全に収まったわけではない。そして、映画に出てくる子どもらはそれより後に生まれた子らで、直接は紛争を経験していない。しかし親の世代は暴力が支配し、敵対する相手を激しく憎悪した時代の経験者なのだ。だからディランの父親は暴力には暴力でという発想にもなる。
ケヴィン校長も若い頃は「強い男」であるべきだと、自らの拳でたたかってきた。だが、拳に頼った自身の過去を恥じ、暴力のない社会をと哲学を学び、やがて教員、校長となる。彼の目指すべき道は明確だ。校内でおこるあらゆる喧嘩や口論は、ケヴィンのオフィス外の「思索の壁」に書き込むこと。書くことで自分を客観視できる、冷静になれる。拳をペンに変えることで暴力は防げると。
哲学というと、昔日の偉人の格言、金言とされる短い語彙にゲンナリして、その言葉が発された裏に深く、長い思索があることに思いが至らない。ケヴィンもたまに引用するが、そんな格言を知ることが哲学でないことを実践する。不満や怒りは、そのメカニズムを知ることで暴力へと発展する悪しきサイクルを断ち切ることができる。それが言葉を何よりも大事にした哲学の授業なのだ。
理屈を嫌った私の父は、不合理、不条理を内面化していた世代とも言える。それらに抗い続ける言葉を現在の私は欲している。王制の国、イギリス。ベルファストの紛争では、ロイヤリストがリパブリカンを激しく攻撃した歴史もある。そして、ブレグジットによって再び、北アイルランドはグレートブリテンから孤立する立場に晒された。独立派の動きとともに緊張が続く。哲学によって暴力が回避されることを祈り続ける。