kenroのミニコミ

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「ボク」が「ボク」でいられることを感じられたあの頃 Concert for GEORGE

2023-08-12 | 映画

「ハーモニカがあまりにもできないので小学校を卒業できないのではないか」と恐れていた。歌うのも、楽器も全くダメ。このブログで音楽作品を扱うのは珍しい。しかし、大袈裟にいうとビートルズ少年だった自分のあの頃の存在価値、理由を思いおこさせるナンバーだったのだ。

現在、小・中・高の不登校生徒の多さが問題となっている。特に義務教育の小中にスポットが当たっているようだ。高校は嫌ならやめればいいからだ。陰湿ないじめに遭っていたわけではない自分は不登校にもならず、退学も考えたこともなかった。だが、力のある同級生のいじめの標的にならないよう「パシリ」の日々。学校にいたボクはボクではなかった。家でビートルズのカセットに耳を委ねている時だけボクがいた。そんな気がした。

音楽のことはまるで分からないのに、20世紀最大のミュージシャンは?と問われれば「ビートルズ」と賛同してくれる人も多いのではないか。レーベルを出してからのグループとしての彼らの実働はたった10年。しかし、その影響力は絶大で、「ボク」のように活動を直接知らない世代にまで夢中にさせた。

ビートルズというと、その圧倒的な音楽的才能からジョンとポールの合作作品が多く、年下のジョージは少ない。しかし、インドに傾倒し、そのエッセンスを取り込んだ名盤サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドでインドテイストを全開。最も好きなアルバムだ。そのジョージがおそらくグループ解散後、ソロ活動をなす中で自己の道を定めたのだろう。ビートルズ時代から親交を結んでいたエリック・クラプトンがジョージの没後1年で開催したコンサートの記録映像が本作である。

ビートルズ時代は、ジョンとポールの作品ばかりアルバムに採用され、自作が取り上げられず不満だったともされるジョージだが、クラプトンはじめ外部ミュージシャンとも積極的に関わった。だから、クラプトンはこのコンサートを発案した。ビートルズ全体の中では少ないジョージの作品、サムシングやヒア・カムズ・ザ・サンなど心地よいメロディが流れる。そう、あの時も同じだったのだ。

学校は勉強しに行くところ。部活動にも参加していなかった自分は勉強以外の部分で他者と関わりたくなかった。しかし、理数系が苦手な「ボク」が選んだコースは大学進学を考えていないクラス。ヤンキーぽい、遊んでいる生徒が多いクラスだった。休憩時間には化粧を直す女子生徒と、「おぼこい」「ボク」に分からない話で盛り上がる男子生徒。イジメの対象にならないためには力のある(と思われている)学年を代表する(と思われている)同級生に媚びへつらうこと。御用聞よろしく、「○○君。ボクがやるよ」と。

中学時代、粗暴な同級生に殴られたりしたこともあり、成績により彼らとは同じ高校に行くまいと得た地がやっぱり知力ではない力が支配する世界とは。ただ、程度の差はあれ、神童でもない限り、「ボク」のような凡庸な成績でちょっと上に行き、現状から逃れようと考えた者も多かったのではないだろうか。

幸い大学に進学し、彼らと関係は切れ、「パシリ」生活は終わった。だが、イジメや陰湿な攻撃は職場でももちろんあるし、その後「ボク」から「私」となった自分も経験した。

ジョージの一番傑作、代表作である「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がなかなか演奏されないなと思っていたら、ラストにクラプトンが「泣きのギター」を奏で、歌い出した。もう、そこでは涙でぐちゃぐちゃだ。学校で仮面をかぶっていた「ボク」ではなく、ビートルズに癒された「ボク」を思い出したからだろう。

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