kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

日本の原風景・高槻 「冬の風物詩 鵜殿のヨシ原焼き」

2020年02月20日 | Weblog
鵜殿のヨシ原は、淀川河川敷(鵜殿から上牧)に広がる「ヨシの群生地」です。
大阪みどりの百選、関西自然に親しむ風景100選にも選ばれ、初春にヨシ原の
保全と害草・害虫の駆除などを目的に、野焼き「ヨシ原焼き」が開催されます。

鵜殿(うどの)のヨシ原焼き 2011年02月

これは、数年前の文化財スタッフだった時のことですが
刈り倒したヨシを束ねるボランティアに参加したことがあります。

「鵜殿のヨシ原焼き」は、ヨシ焼の前にヨシの保全調査と野焼きによって
炎が大きくならないように、この辺りのヨシを刈り倒して収集します。


高槻青年会議所の方達も参加され
野見神社の宮司さんが祝詞を挙げておられます。


鵜殿のヨシは
世界に誇る日本の伝統芸能・雅楽の篳篥(ひちりき)に使われています。

古くから篳篥の吹き口(蘆舌・ろぜつ、リード)には鵜殿産のヨシが
最適 と言われており、宮内庁の「雅楽」にも用いられています。
※雅楽に使われるヨシは、こんな細いものではなくもっと太いものです。


この細いヨシは、ヨシ紙に加工されるので
一帯に生息するオギなどと選別して穂を揃えて束ねます。

ヨシは、水辺に多く生える多年草の植物です。
河川などの水中に含まれるリンやチッソを吸収して育ち
水質を浄化する作用があり1年で枯れます。


私は初めての参加でしたが
周りには何度も参加されているベテランの方たちばかりでした。


私は午前中だけの参加だったので、お昼の休憩時に帰りましたが・・・
来た時よりも、束ねたヨシがこんなにも増えています。(^^♪
この時は興味だけでヨシ刈りに参加しましたが、良い思い出になりました。

「鵜殿(うどの)」の地名は
古くは平安時代に鵜河の辺りに作られた宿を「鵜殿」と呼ばれ、それが地名になったと言われ、『土佐日記』で承平5年(935)2月9日 「こよひ、うどのといふところにとまる」 と記されているのが初めてです。

鵜殿一帯は、古くは「宇土野」「鵜戸野」とも書かれていました。
江戸期では「烏丸家領」及び「高槻藩領」、明治22年の尊名で島上郡「鵜殿村」になり、現在は大阪府高槻市道鵜町と上牧町となっています。

※ 令和2月23日(日曜日) 午前9時から正午ごろまで
 大字鵜殿から大字上牧までの淀川河川敷で、ヨシ原焼きが実施されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする