勝龍寺公園の西側の土塁を上がっています。
土塁を上がると、ガイドさんから左の方向に案内されました。
そこは、天守〈櫓〉が建てられていたと推定される土塁の上でした。
“山崎合戦”の布陣図に関する解説板があります。
ガイドさんから説明を聞きながら
天王山を一望しています。
土塁の反対側(北側端上)から、北門の枡形虎口が見渡せます。
この土塁の下は、石垣を見たところなので・・・
もう一度、石垣を見たところへ戻ると
石垣の右に、光秀が脱出したとされる「北門跡」がありました。
その北門跡には、当時の石垣が一部残っていました。
追記 3月10日(火)
BS朝日放送「京都ぶらり歴史探訪」明智光秀VS豊臣秀吉 光秀「三日天下」最後の1日の放送から、勝龍寺の北門から脱出した光秀は、神足神社まで繋がっている土塁を通って脱出したそうです。
北門跡前に立ち、慶応3年(1867)12月に大政奉還のあと
徳川慶喜が、京都・二条城から城外に出た「西門」が思い出されました。