kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・桂離宮 参観の番外編「穂垣・笹垣・徳大寺樋門の遺構」完

2021年07月02日 | 回想日記
新型コロナウイルスの緊急事態宣言の延長が、5月28日に決まった時。


直近の状況


市民の陽性者数 (7月1日大阪府公表分)

東京オリンピック開催で、陽性者が増えないで欲しいです。


「桂離宮 参観」後、通用門の(黒御門)から桂川に向かって歩きました。
桂川沿いで見たものが幾つかあり、番外編として残して置きます。(^^ゞ

穂垣

通用門の黒御門から東の「表門」へ、一定間隔に立てた太い竹に
水平に細い竹枝を積み上げた穂垣が連なっています。


大きな木の横を通り過ぎて、写真の左側が・・・

表門 (正門)

左右に磨き竹の袖塀に、二本の太い丸木の門柱の間に磨き竹の門扉を
取り付けた簡素なもので、特別な時の他は開けられることがありません。
表門を入ると、初めに案内された「御幸門」があります。

笹垣(桂垣)

桂川の土手道に沿って、境域をくぎる笹垣(桂垣)が連なっています。
写真右側に少し見えているのが歩道で、笹垣との間に溝があります。


笹垣は離宮の東側一帯に自生する竹藪の竹をそのまま利用して
一定の高さで竹を押し曲げて編んだ素朴な生垣です。

桂川が増水したときの事を考えて、書院を高床にしていますが
この笹垣は増水したときにゴミなどを受け止める役目をします。


道をはさんだ先には、桂離宮の池に水を引いた桂川があります。
笹垣(桂垣)を見ながら桂橋に向かっていると・・・


桂川沿いに、レンガ造りのようなものが見えます?

徳大寺樋門の遺構

説明板によると「徳大寺樋門の遺構」でした。

「徳大寺樋門」は、桂川の度重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防に設置されたもので、桂離宮への引き水にも利用されていたそうです。

徳大寺樋門の遺構

樋門は、明治41年5月(1908年)に改築されましたが
桂樋門新設に伴い、平成5年6月(1993年)に廃止されることになり


その廃止された一部が「徳大寺樋門の遺構」として
ここに残されているそうです。

桂橋

遺構のすぐ横に、地元の人には「桂大橋」と呼ばれている
「桂橋」と書かれた橋があります。

桂離宮の近くへ行かれた時に、見て欲しいと思った番外編です。
桂離宮の参観と番外編は、これで終わります。
コメント
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