高野山は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称であり、弘法大師(空海)によって開かれた真言密教の修行道場で、高野山真言宗の総本山です。
紀伊山地と霊場の参詣道が、2004年7月 「世界遺産」 に登録されました。
大阪 南海高野線の 「なんば駅」 のホーム
なんば駅から 「特急こうや」 で、約90分 (急行 約110分)
高野山には、一緒に行こうと何度か声を掛けて貰っていたのですが・・・
今まで行く機会がなくて、2010年7月に初めて高野山へ行きました。
南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」
なんば駅から「高野山行き」 に乗ったので
終点は 「高野山」 だと思っていたのですが ・・・
南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」 で終点と言われ
みんなと一緒に降りました。? 運転手さんも降りています。???
ホームには 「→ 高野山 (こうやさん)」 と書いてあって
車両止めがあります・・・?
私は 「高野山駅」からケーブルに乗るのだと思っていたのですが・・・
終点の 「高野山駅」 へ行くには、極楽橋接続の 「高野山ケーブル」に
乗り換えるのでした。(^^ゞ
路線距離は0.8Km、単線2両交走式、軌間は1067mm、高低差が330mで
起終点駅の2駅だけです。
ケーブルの窓からは、きれいに咲いたアジサイの花が見えてました。
南海電気鉄道鋼索線 「高野山駅」
ケーブルを降りると、開業当時そのままの「高野山駅」 でした。
私達は、駅前から 「奥之院前」 行きのバスに乗りました。
奥之院前のバス停までには 「金堂」 「大門」 等、見るところがいっぱいありましたが、私たちは終点の 「奥之院前」 で降りて 「奥之院」 へ・・・
高野山 「奥之院」
「奥之院前」のバス停を降りると、奥之院御廟へと通じる参道です。厳かな参道を歩いていると、有名企業の新しいお墓がたくさんあって驚きました。
玉川の清流の流れる御廟橋からは撮影禁止でした。
奥之院御廟は、弘法大師御入廷のあと
お弟子さん達が廟を建てた、大師様信仰の中心聖地です。
その途上の参道左に、弥勒石 (みろくいし) の祠 (ほこら) があり
中には黒い石が置かれていて弥勒石と呼ばれ、兜率天(とそつてん)から蓮の糸に吊られて降りてきた石だと伝えられているそうです。
その石は罪の軽い人には軽く、重い人には重いと言われる「重軽石」の信仰があり、上段へ片手で上げることが出来れば願いが叶うと言われ、挑戦する若者の姿がありました。
参道には、何百年も経た老杉が高くそびえています。
そして、豊臣家墓所、織田信長供養塔の他にも、世界遺産に登録されている寛永20年(1643年)徳川家光の建立、家康と秀忠の霊廟等がありました。
お大師さまへの食事のお供えは、生身供(しょうじんぐ)といわれて
いまも、毎日6時と10時30分の2回行われています。
高野山は広くて短時間の滞在でしたが、最近のテレビ放送で高野山の番組があり普段は入れない所などを見ることができました。
あれから11年経っていますが、憶えているところが沢山ありました。
また行きたいと思ってますが、お導きがあれば行くことができますね。
紀伊山地と霊場の参詣道が、2004年7月 「世界遺産」 に登録されました。
大阪 南海高野線の 「なんば駅」 のホーム
なんば駅から 「特急こうや」 で、約90分 (急行 約110分)
高野山には、一緒に行こうと何度か声を掛けて貰っていたのですが・・・
今まで行く機会がなくて、2010年7月に初めて高野山へ行きました。
南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」
なんば駅から「高野山行き」 に乗ったので
終点は 「高野山」 だと思っていたのですが ・・・
南海高野線「極楽橋駅 (ごくらくばしえき)」 で終点と言われ
みんなと一緒に降りました。? 運転手さんも降りています。???
ホームには 「→ 高野山 (こうやさん)」 と書いてあって
車両止めがあります・・・?
私は 「高野山駅」からケーブルに乗るのだと思っていたのですが・・・
終点の 「高野山駅」 へ行くには、極楽橋接続の 「高野山ケーブル」に
乗り換えるのでした。(^^ゞ
路線距離は0.8Km、単線2両交走式、軌間は1067mm、高低差が330mで
起終点駅の2駅だけです。
ケーブルの窓からは、きれいに咲いたアジサイの花が見えてました。
南海電気鉄道鋼索線 「高野山駅」
ケーブルを降りると、開業当時そのままの「高野山駅」 でした。
私達は、駅前から 「奥之院前」 行きのバスに乗りました。
奥之院前のバス停までには 「金堂」 「大門」 等、見るところがいっぱいありましたが、私たちは終点の 「奥之院前」 で降りて 「奥之院」 へ・・・
高野山 「奥之院」
「奥之院前」のバス停を降りると、奥之院御廟へと通じる参道です。厳かな参道を歩いていると、有名企業の新しいお墓がたくさんあって驚きました。
玉川の清流の流れる御廟橋からは撮影禁止でした。
奥之院御廟は、弘法大師御入廷のあと
お弟子さん達が廟を建てた、大師様信仰の中心聖地です。
その途上の参道左に、弥勒石 (みろくいし) の祠 (ほこら) があり
中には黒い石が置かれていて弥勒石と呼ばれ、兜率天(とそつてん)から蓮の糸に吊られて降りてきた石だと伝えられているそうです。
その石は罪の軽い人には軽く、重い人には重いと言われる「重軽石」の信仰があり、上段へ片手で上げることが出来れば願いが叶うと言われ、挑戦する若者の姿がありました。
参道には、何百年も経た老杉が高くそびえています。
そして、豊臣家墓所、織田信長供養塔の他にも、世界遺産に登録されている寛永20年(1643年)徳川家光の建立、家康と秀忠の霊廟等がありました。
お大師さまへの食事のお供えは、生身供(しょうじんぐ)といわれて
いまも、毎日6時と10時30分の2回行われています。
高野山は広くて短時間の滞在でしたが、最近のテレビ放送で高野山の番組があり普段は入れない所などを見ることができました。
あれから11年経っていますが、憶えているところが沢山ありました。
また行きたいと思ってますが、お導きがあれば行くことができますね。