⑤「 第2章 自然:大地の浸食造形」 の続きです。
海底洞窟・水族館
19世紀後半は水族館誕生の時代でした。
大型のガラス板とモーターの出現が、この施設を可能にしました。しかし、水温を維持する技術がなかったため、温度が一定となる地下に作られました。
《パリ万博 淡水魚水族館》 1867年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/3d/7c4f6def326a1582195da51502a30262.jpg)
1867年パリ万博に登場した
海水と淡水の二つの水族館でした。
海底の洞窟がイメージされ
その洞窟の開口部を通して魚群が眺められました。
《パリ万博 水族館》 1878年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/65/ea01284b1b47329b7777fcc9e7c87e0a.jpg)
次の1878年パリ万博の際にも
水族館は好評でした。
《パリ万博 1889年》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/43/0b4caef5811c22d6d5daa3c2a01078b3.jpg)
1889年のパリ万博でも使用されました。
現在、水族館から洞窟をイメージするのは難しいです。
しかし、当時の水族館を知っていた文筆家ジョゼップラは「水族館の内部にいると思わないかぎり、カサ・ミラの正面は理解できない。ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として、ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記しています。
この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にもあてはまると言われています。長くなりますので「カサ・バトリョ」へと続きます。
海底洞窟・水族館
19世紀後半は水族館誕生の時代でした。
大型のガラス板とモーターの出現が、この施設を可能にしました。しかし、水温を維持する技術がなかったため、温度が一定となる地下に作られました。
《パリ万博 淡水魚水族館》 1867年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/3d/7c4f6def326a1582195da51502a30262.jpg)
1867年パリ万博に登場した
海水と淡水の二つの水族館でした。
海底の洞窟がイメージされ
その洞窟の開口部を通して魚群が眺められました。
《パリ万博 水族館》 1878年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/65/ea01284b1b47329b7777fcc9e7c87e0a.jpg)
次の1878年パリ万博の際にも
水族館は好評でした。
《パリ万博 1889年》
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/43/0b4caef5811c22d6d5daa3c2a01078b3.jpg)
1889年のパリ万博でも使用されました。
現在、水族館から洞窟をイメージするのは難しいです。
しかし、当時の水族館を知っていた文筆家ジョゼップラは「水族館の内部にいると思わないかぎり、カサ・ミラの正面は理解できない。ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として、ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記しています。
この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にもあてはまると言われています。長くなりますので「カサ・バトリョ」へと続きます。