京都迎賓館へ一緒に行った友人達と、桂離宮を参観してきました。
11月12日(木)
京都の西の郊外を流れる桂川の西岸、旧丹波街道に通じる桂川大橋を渡った北西に位置する桂離宮は、後陽成(ごようぜい)天皇の弟君・八条宮(はちじょうのみや)初代 智仁(としひと)親王により、1615年に宮家の別荘として創建されましたが、十二代 淑子内親王が亡くなられるとともに絶え、明治16年(1883年)宮内省所管となり「桂山荘」から「桂離宮」と称されることになりました。
参観者の出入り門を通り、参観がスタートしました。
土橋を渡って御幸門向かいます。
写真の左に見える屋根は「御舟屋(おふなや)」です。
御幸門(みゆきもん)
最初の御幸門は 後水尾上皇の御幸を迎えるために設けられたが
現在の門は第七代家仁親王の時代に作られたそうです。
御幸門は、茅葺切妻屋根(かやぶききりつま)で柱と桁には太い
皮付き丸太(アベマキ)が使われ、門扉は割竹を簀子状に並んでます。
(アベマキはワインの栓に使われることもあるそうです。)
写真右下に見える四角い石は その上に御輿を置いたと言われ
「御輿石(オコシイシ)」と呼ばれていますが定かではありません。
その先に御成門(表門)があります。
御幸道(みゆきみち)は、御幸門から先ほど通った土橋への道です。
この道は青黒い小石をが敷き詰められ、やや中高に反りがつけられたことで
水はけがよくなるようにつくられていました。これは後で分かったのですが
先に見える土橋を渡って左に行けば、後書院の中門への道だったのです。
======= 御幸道の土橋手前を左折して外腰掛へ =======
二重枡形手水鉢 (にじゅうますがたちょうずばち)
外腰掛の手前に背の低い石灯籠と、外枠に対して45度ずらして
方形の水穴があることから呼ばれています。
外腰掛 (そとこしかけ)
外腰掛は松琴亭の待合所として使われたもので蘇鉄山に面して
間口三間の茅葺寄棟造で、内側は二間の腰掛がありました。
外腰掛の前庭として作庭された「蘇鉄山」
蘇鉄山の風景は桂離宮の繊細なお庭としては異質な感じですが
当時は蘇鉄のもつ南国的な雰囲気が珍重されたそうです。
明日は、「天の橋立」「松琴亭」です。
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