2009年3月に「景観フォーラム&富田まちあるき」に参加して「富寿栄の松」についてブログに残していたのですが、古い記事なので今は見ることが出来なくなっているので再投稿します。
景観フォーラム&富田まちあるき
本照寺さんの本堂前庭に「富寿栄(ふすえ)の松」という、樹高が低くて手が届きそうな東西35m、南北25mに枝を広げた、樹齢が約700年の巨木がありました。
しかし、1968年(昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れはじめ・・・1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに枯れてしまいました。

この立派な火鉢は、その枯れた「富寿栄の松」の根に近い幹を巨大な火鉢として本堂内で活用されています。

この根株の上部分が
上画像の火鉢になっている部分だそうです。
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「むれ鶴の 富寿栄の松葉 枝高く
ひろくしげれる 幾千世の陰」
ボランティアの方のお話では・・・
本照寺の住持・寂恩(じゃくおん)の娘さんが 公家の冷泉家 に嫁ぎました。
息子である公家の「冷泉為村(れいぜいためむら)」が、法要で本照寺を訪れた際に松をみてよんだ和歌で、松の名前は「冷泉為村」の命名だそうです。
~~~~~
あの富寿栄の松は、これで終わりではありませんでした!

現在は、高槻市の常見寺さんの境内に

「富田 本照寺 天然記念樹 富寿栄の松 実生」
として、受け継がれています。
「富寿栄の松 実生」を見た時は嬉しかったです。
景観フォーラム&富田まちあるき
本照寺さんの本堂前庭に「富寿栄(ふすえ)の松」という、樹高が低くて手が届きそうな東西35m、南北25mに枝を広げた、樹齢が約700年の巨木がありました。
しかし、1968年(昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れはじめ・・・1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに枯れてしまいました。

この立派な火鉢は、その枯れた「富寿栄の松」の根に近い幹を巨大な火鉢として本堂内で活用されています。

この根株の上部分が
上画像の火鉢になっている部分だそうです。
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「むれ鶴の 富寿栄の松葉 枝高く
ひろくしげれる 幾千世の陰」
ボランティアの方のお話では・・・
本照寺の住持・寂恩(じゃくおん)の娘さんが 公家の冷泉家 に嫁ぎました。
息子である公家の「冷泉為村(れいぜいためむら)」が、法要で本照寺を訪れた際に松をみてよんだ和歌で、松の名前は「冷泉為村」の命名だそうです。
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あの富寿栄の松は、これで終わりではありませんでした!

現在は、高槻市の常見寺さんの境内に

「富田 本照寺 天然記念樹 富寿栄の松 実生」
として、受け継がれています。
「富寿栄の松 実生」を見た時は嬉しかったです。
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