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住吉大社の反橋をわたった左手に、垣に囲まれた「誕生石」があります。
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説明版によると 丹後局は源頼朝の寵愛を受けて懐妊したが、北条政子により捕らえられ殺害されるところを家臣の本田次郎親経(ほんだじろうちかつね)によって難を逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、雷雨に遇い前後不覚となったが、不思議なことに数多の狐火が灯り、局らを住吉の松原に導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。本田次郎が住吉明神に祈るなか局は傍らの大石を抱いて男児を出産した。
これを知った住吉の神人田中三宗は産湯を出して湯薬をすすめて介抱し保護したという。是を知った源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は後に薩摩・大隈二ヵ国をあてられた。これが島津氏の初代・島津三郎忠久公である。
この故事により、住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ、「誕生石」の聖地に垣をめぐらせ、此の小石を安産の御守りとする信仰が続いている。
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北条政子は、伊豆(静岡県)の豪族・北条時政の娘に生まれました。
そして頼朝を支え鎌倉幕府をつくるのに貢献しました。
頼朝が死んでからは「尼将軍」として幕府を引っ張って頼朝が死ぬと出家し
政子自身が「尼将軍」として、承久の乱を勝利に導きました。
この誕生石をみて、北条政子が周りの反対を押し切り源頼朝と結婚したことや
政子が妊娠するたびに浮気され、怒って浮気相手の家を襲撃させたことなどが
あったようで、愛するゆえに嫉妬深い北条政子だったことを思い出されました。
勉強になりました(^-^)
みんなのブログからきました。
短歌を書きました。
女性も男性も、きっと嫉妬深いと思いますよ。
尼将軍と呼ばれる強い女性だからこそ・・・
こんな行動に出たのでしょうね。
私も学生の頃、詩や俳句が好きだったので
訪問させていただき楽しませていただきました。
また、遊びに行かせていただきます。(*^^*)
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