今日から2月ですが・・・ 1月度ハイキング
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。
「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。
江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。
風情のある石畳です。
本堂
お寺が創建されたのは光悦の死後でした。
~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~
大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵
●三巴亭 (さんばてい)
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。
●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣
本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。
割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み
割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。
「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。
左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。
本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)
●了寂軒
アセビ
ツツジ科 Ericaceae
名前は分かりません。
●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)
本阿弥一族の墓所もありました。
●本阿弥庵
この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。
「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。
説明板の左、東山・船岡山方面
そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが
この鷲ヶ峰です。
この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。
円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。
この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。
「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。
江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。
風情のある石畳です。
本堂
お寺が創建されたのは光悦の死後でした。
~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~
大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵
●三巴亭 (さんばてい)
「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。
●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣
本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。
割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み
割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。
「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。
左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。
本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)
●了寂軒
アセビ
ツツジ科 Ericaceae
名前は分かりません。
●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)
本阿弥一族の墓所もありました。
●本阿弥庵
この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。
「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。
説明板の左、東山・船岡山方面
そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが
この鷲ヶ峰です。
この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。
円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。
この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます