kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

1月度ハイキング 京都・鷹峯「光悦垣と鷲ヶ峰・鷹ヶ峰の眺望 光悦寺」

2025年02月01日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
今日から2月ですが・・・ 1月度ハイキング 
③ 源光庵「悟りの窓・迷いの窓・血天井」のつづきです。


「光悦寺」は、源光庵からすぐ近くの所にがありました。



江戸時代初期に、本阿弥光悦が徳川家康から与えられ、光悦の一族や芸術仲間たちがこの地に移り住んで、芸術村を築きこの地から数々の芸術作品が生まれたのです。



風情のある石畳です。


本堂

お寺が創建されたのは光悦の死後でした。


~~~ 境内には、7つの茶室 ~~~

大虚庵・三巴亭・了寂軒・徳友庵・本阿弥庵・騎牛庵・自得庵

●三巴亭 (さんばてい)

「過去・現在・未来」の意味があると言われている三巴亭。


●大虚庵 (たいきょあん)光悦垣

本阿弥光悦が晩年過ごしたとされる大虚庵です。



割り竹を粗い目の菱形(ひしがた)に組み



割り竹の束をのせて
頂部がゆるい曲線を描いています。



「光悦垣」の名前は
本阿弥光悦がこのデザインを好んだことが由来だそうです。



左に行く道が見えました。
その先には、本阿弥光悦の墓所があります。



本阿弥光悦は、80歳で亡くなりました。
永禄元年(1558年)京都に生まれ、寛永14年(1637年)


●了寂軒



アセビ



ツツジ科 Ericaceae

名前は分かりません。


●翹秀軒(ぎょうしゅうけん)




本阿弥一族の墓所もありました。


●本阿弥庵




この説明板は、本阿弥庵の前左端にあります。

「翹秀軒・本阿弥庵」からは
眼下に、鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、東山などが見下ろせますが
翹秀軒では、所狭しに休憩されていたので撮りませんでした。



説明板の左、東山・船岡山方面



そして左が鷹ヶ峰、小さい山の右に少し見えているのが



この鷲ヶ峰です。



この後は、いま来た道を戻り「光悦寺」を後にします。



円型の悟りの窓、角型の迷いの窓の「源光庵」と
光悦寺への道は「東海自然歩道」でした。

この後は、お昼時間が近くなり
「しょうざんリゾート京都」へ続きます。

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