kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

塀に蔓を伸ばしている「ヘンリーヅタの紅葉」 追記:甲子園の蔦は

2023年12月11日 | 花・草・木・鳥 他
昨日の記事から移行して再投稿します。

今年は、ブログ訪問で紅葉を楽しませて頂きましたが
家近くに気付かずにいた紅葉がありました・・・それは


ご近所の塀にへばりついて伸びているのは
「ヘンリーヅタ」の蔓(つる)だと思います。

今まで、家の壁をよじ登って蔓を伸ばしているのは見ていましたが、紅葉しているのを見るのは初めてです。

科・属名:ブドウ科・ツタ属
原産地:中国



遠くから見ていても、きれいに紅葉していたので
近くまでいって撮らせて頂きました。(^^ゞ



ヘンリーヅタは
春に赤色の葉になると、赤紫色から深い緑色へと変わり
秋に低温にあうと、赤く紅葉するそうです。

~~~~~~~~~~~~~~

追記

蔦で思い出すのは「甲子園の蔦」ですが
気になったので調べると・・・

甲子園の蔦の種類は2つでした。
メインは「ナツヅタ」と呼ばれるブドウ科の蔦で
秋には赤く色づき、冬は葉を落とします。

日当たりの良くない場所には
日陰に強いウコギ科の「キヅタ」が使われていました。
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「大谷翔平投手の素晴らしい言葉」と、エ軍ファンからの「赤い花束」

2023年12月10日 | Weblog
X記事を追加して「タイトル名」を変更しました。

エンゼルスからFAとなっていた大谷翔平投手が9日(日本時間10日)、ドジャースと10年総額7億ドル(約1014億円)の超大型契約を結ぶことで合意したと発表がありました。


そして、大谷翔平投手からは
「ファンの皆様、野球関係者の皆様、決断に至るまで長らくお詫び申し上げます。次のチームにドジャースを選ぶことにしました。

まずは、6年間支えてくださったエンゼルス関係者の皆様、ファンの皆様、またこの交渉のプロセスに携わっていただいた各チームの関係者の皆様に心から御礼申し上げます。

特に波乱万丈な私を支えてくれたエンゼルスファン、皆さんのサポートと声援は私にとってかけがえのないものでした。エンゼルスで過ごした6年間は私の心に永遠に刻まれます。

そして全てのドジャースファンの皆さん、私は常にチームのために最善を尽くし、常に自分の最高のバージョンになるために全力を尽くし続けることを約束します。

プレー人生最後の日までドジャースのためだけでなく、野球界のために努力し続けたいと思います。」


大谷翔平に感謝示したエ軍ファンからの「花束」 


スポーツ選手としても、人間としても素晴らしい人ですね。
去って行くエ軍チームのファンからも愛されています。

※「ヘンリーヅタの紅葉」は、別カテゴリーに移行します。
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ガウディ ⑧「コローニア・グエル 逆さ吊り実験と計画案のスケッチ」

2023年12月09日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
「水族館のようなカサ・バトリョ」追記のつづきです。

逆さ吊り実験とガウディ建築
《コローニア・グエル教会堂》  1898-1908年

計画と逆さ吊り計画・逆さ吊り実験

コローニア・グエルは1890年に着工した商工業都市でした。
1893年、ガウディは最も高い場所に計画していた教会堂の設計は終えていました。

しかし、現在知られている建物は1898年に計画が着手され、有名な「逆さ吊り模型」に10年も要したのち1908年に着工するも、講堂として設計された半地階のみで未完に終わっています。

鎖の代わりに紐・おもり・薄い布を利用し、先ず紐を固定するためには、平面図の柱と壁の位置を決めないといけません。

次に計画された断面・立面の高さから紐の長さを決め、上階の床や屋根の形状などから荷重を算定し、それらを支える位置に荷重するおもりを垂れ下げます。

さらに高さや平面を変えながら最良案を探すことになりますが、すべてが生き物のように有機的に絡まっているので、一つ変えれば全体に影響します。


《コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験》

写真 1984-85年 西武文理大学
左上:コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験(部分)
左下:コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験

右上:コローニア・グエル教会堂計画
   逆さ吊り実験、外壁面装着前の骨格
右下:コローニア・グエル教会堂初期計画
   逆さ吊り実験反転


《コローニア・グエル教会堂 計画案のスケッチ》

直筆のスケッチに基づき1979年に制作 (リトグラフ)
1979年(オリジナル1908年)ガウディ記念講座 ETSAB

薄い布で覆った模型を、当時の最新技術のカメラで写真に撮り、それを上下反転し、その上に内観外観のスケッチを描きました。当時の写真は写すだけで終わらず、ガラス・ネガを鉛筆で修正してから写真にしました。

複雑な修繕が必要な場合には、一度焼いた写真を修整し再度撮影して写真にしました。理念的には理想的な合理性が得られるはずですが、ガウディはこれで満足せず、さらに手を加えることになり、結果は不具合の部分も含まれることになりました。

ガウディ建築の内部空間を特徴づける放物線アーチは、コローニア・グエル教会やサグラダ・ファミリア聖堂にも、回転放物面として建築の外観の造形に展開されていきます。

長くなりますので、次へと続きます。
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ガウディとサクラダ・ファミリア「水族館のようなカサ・バトリョ」追記

2023年12月08日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑦「カサ・バトリョ内観の2階ギャラリー」の記事に
追加したい写真がありました。それは・・・

《パリ万博  1878年》 

ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として
ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記し
この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にも
あてはまると言われていましたが・・・


追加写真
《カサ・バトリョ内観の2階ギャラリー》 

ギャラリー全体の構成は
パナマ太平洋万博(1913)の「海底の楽園」入場門と同じです。
※この写真は図録になかったのでお借りしました。


《カサ・バトリョ 2階ギャラリー大窓》

大窓は洞窟が海辺の断崖に口を開いたようになっています。


《カサ・バトリョ 2・3階彫朔的開口部》

カサ・バトリョの、2・3階彫朔的開口部です。
これも「ガウディの創造の源泉」の一部でした。

次は「逆さ吊り実験とガウディ」へと続きます。
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丁字路のカーブミラーが・・・?

2023年12月07日 | Weblog
これは12月5日の写真です。


丁字路のカーブミラーが、根元から折れ曲がっています。

カーブミラーの、こんな姿は初めて見ましたが
支柱が腐食して倒れたのでしょうか・・・?
道の左端下に削られたような跡があるようにも見えます。
数時間後に通ると、もう撤去されてました。
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ガウディとサグラダ・ファミリア展 ⑦「カサ・バッリョ & 山の洞窟と家」

2023年12月06日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑥「 第2章 海底洞窟 水族館」の続きは
ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設したと言われる 
洞窟の水族館のような「カサ・バトリョ」です。


《カサ・バッリョ 正面図  1904 -06年》

1904年 ガウディ記念講座  ESTAB

バッリョ家はグエル家と同じく繊維業界の大企業家です。
1877年建設の旧ビルを、社会的ステータスにふさわしい建築を望み、ガウディに新築を依頼するが、旧ビルの増改築になりました。

この図面から直に施工することは難しく、図面から石膏模型を作らせ、それから石材に刻ませ現場で積み上げて完成させました。


《カサ・バトリョ》

オーナー1階住宅は同時代の水族館を連想させる空間で、大きな開口部や天井の明かり窓は海中へと通じているようで、建設中央の階段採光パティオは、白から濃紺へのグラデーションを有する青の空間では海底から海面を見上げているようです。

屋根裏階廊下から屋上へのらせん階段潜水艦を想起させ、前面に細身の窓枠の総ガラス張りの開口部を持ち、渦巻き天井の先端にシーリングライトが付くオーナー階正面両側サロンはノーチラス号のネロ船長室の記述に一致します。

2・3階彫朔的開口部は洞窟が海辺の断崖に口を開いたようで、2階ギャラリー全体の構成は、パナマ太平洋万博(1913)の「海底の楽園」入場門に一致。この入場門が2匹の魚で構成され、屋根がその鱗で葺かれているように、カサ・バトリョも鱗屋根です。

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山の洞窟と家
19世紀後半の洞窟ブームは
地中の洞窟から山の洞窟まで広がりました。

《ギア(大カナリア島) グアンチェ族修道院》 

1898年、スペイン最大の画報誌にギアの原住民
グアンチェ族修道院が紹介されました。


《バルセロナ カサ・ミラ》

この無数の洞窟で重層的に形成された断崖造形は
カサ・ミラの外観を想起されます。


「ニンフの洞窟」
元来、グロッタの先例となった「ニンフ寝殿《ニンフの洞窟)」は、山奥の泉の湧き出す洞窟が起源とします。


カタルーニャの守護聖人「黒のマリア」
黒のマリアは、奇山モンセラーの奥深い洞窟で発見されました。キューバの在住のカタルーニャ人たちが、1894年に人工のモンセラーを建設しその内部の洞窟を礼拝堂にしました。

「逆さ吊り実験とガウディ」へと続きます。
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ガウディとサグラダ・ファミリア展 ⑥「 第2章 海底洞窟 水族館」

2023年12月04日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑤「 第2章 自然:大地の浸食造形」 の続きです。

海底洞窟・水族館
19世紀後半は水族館誕生の時代でした。
大型のガラス板とモーターの出現が、この施設を可能にしました。しかし、水温を維持する技術がなかったため、温度が一定となる地下に作られました。


《パリ万博 淡水魚水族館》  1867年

1867年パリ万博に登場した
海水と淡水の二つの水族館でした。

海底の洞窟がイメージされ
その洞窟の開口部を通して魚群が眺められました。


《パリ万博  水族館》  1878年

次の1878年パリ万博の際にも
水族館は好評でした。


《パリ万博  1889年》 

1889年のパリ万博でも使用されました。

現在、水族館から洞窟をイメージするのは難しいです。
しかし、当時の水族館を知っていた文筆家ジョゼップラは「水族館の内部にいると思わないかぎり、カサ・ミラの正面は理解できない。ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として、ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記しています。 

この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にもあてはまると言われています。長くなりますので「カサ・バトリョ」へと続きます。
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ガウディとサグラダ・ファミリア展⑤「 第2章 自然:大地の浸食造形」

2023年12月03日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
ガウディが家具のデザインも手掛けていたことは
④「 第2章 ガウディの創造の源泉」で知りましたが
今日は、その続き「自然:大地の浸食造形」です。

聖なる空間としての洞窟
キリスト教聖窟
《ルルドの洞窟》   1897年

フランス側ピレネー ルルドの聖母洞窟にて

キリスト教の発祥地パレスティナは洞窟に恵まれた地域でした。
倉庫や家畜小屋などに利用され、時には墓場にもなりました。

ベツレヘムの降誕教会堂はイエス様が生まれたとされる家畜小屋の上に建設され、エルサレムの聖墳墓教会堂もイエスの埋葬地とされる洞窟の上にあります。この場所は、キリストの磔刑(たっけい)の地「ゴルゴタの丘」とも推測されています。


《東京カテドラル ルルドの洞窟》  1911年

ピレネーの洞窟でマリアさまが出現したことで、この洞窟はローマに次ぐ最大の巡礼地となり、この洞窟に模した「ルルドの洞窟」が世界各地に建設され、東京カテドラルや五島列島の教会堂にも建設されました。

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モンセラー 栄光の第一秘蹟「キリストの昇天」

《サクラダファミリア聖堂 降誕の正面》1983-85年

カタルーニャの守護聖人「黒のマリア」は
モンセラーの洞窟で発見されました。

そこへの聖道沿いに15秘蹟のモニュメントの建設が計画され、栄光の第一秘蹟「キリストの昇天」1903年~16年の制作を依頼されたガウディは、埋葬地の洞窟から昇天するキリストの姿を造形化しました。


《栄光の第一秘蹟「キリストの昇天」》 1903-16年

その構成は「ルルドの洞窟」に酷似しています。

サクラダ・ファミリアの機関誌が
降誕の場面を洞窟の中に描いた図番を1889年に掲載してから4年後「降誕の正面」は着工されました。

このファサードは鍾乳石や石筍が氷柱や動植物・大工道具・星座などの浮彫に置換された「降誕の洞窟」に他ならない。

この降誕の場面は、ガウディの手によるもので、1904年のクリスマスイブに開業したサラ・マルセー映像館地下の「ファンタスティック洞窟」でも再現されました。

長くなりますので、19世紀後半の水族館誕生の時代
「海と洞窟と家」は次へ続きます。
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千両屋さんの「広島のカキと穴子のお弁当」

2023年12月01日 | 食楽
今日は、歯科定期検診の日なので出かけていました。
帰りに催事で出店されていたお店に寄ってみると・・・


広島県の「千両屋」さんのお弁当が
とても美味しそうだったので買ってきました! 


「広島県産のカキと穴子のお弁当」です。

カキフライの入ったお弁当もありましたが
家に、白菜・厚揚げ・鯖の煮物と酢の物があったので
このお弁当に決めましたが、とても美味しかったです。

催事は5日まであるそうなので
今度は「カキフライ」を買ってきます。(^^ゞ

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」は
次へと続きますが、図録の写真を撮るのに苦戦しております。
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