喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

台湾の友だちが平礒に残してくれたもの

2016-01-30 | 地域づくり
 1週間前に、ふるさと平礒には、台湾の人が3人いた。
そのうち、2週間活動してくれた2人の女性(駱ちゃん、李ちゃん)は1週間前の22日に出発。
今は、呉さん一人。

 最後の夜、駱ちゃんと李ちゃんは、私たちに感謝のメッセージを残してくれた。
平礒の田舎がどれほどすばらしいところか、
そしてそこに暮らす人たちがどれほど心豊かな人たちか。
そんなことを色紙に書いて残してくれた。
 写真は台湾の3人。


 駱ちゃんが、流ちょうな日本語で感謝の言葉を伝えてくれた。
 

「物があふれている都会。
物が少ない田舎。
でも大切なものだけが残っている。
 生き方として、田舎のシンプルさがとてもいいと思う。
自分が何を大切にして生きていけばいいか、よくわかる。
 太陽とともに目覚め、太陽とともに休む。
こんな自然のリズムが、健康にとてもいい。」


 そんなメッセージを残してくれた。

 そんなメッセージを、将来田舎に残り農業を継ぎたいと考えている息子は、
どう思っただろう。


 また、こんな疑問も投げかけてくれた。
「平礒のお年寄りは、しんどい思いをしてまで、どうしてこんなに一生懸命に働くのですか?
それなのに、どうしてこんなに笑顔が多いのですか?」


 実際にそうだ。
 私の父も10年ほど前、脳こうそくの大病をし、
懸命なリハビリで、少し不自由ながら、心配ながら、毎日柑橘作業をしている。
夏の暑い日も、冬の寒い日も。

 また母も糖尿病で十分な食事がとれないなか、膝の痛みが激しいなか、
毎日作業をしている。
 2人とも休まないのだ。

 駱ちゃんの疑問のようなことをまじめに考えたこともなかった。それがあたりまえと思っていたから。
平礒の若きホープである幸君がこたえた。

「それはまさにうちのじいちゃんやばあちゃんにあてはまること。」

 幸君のじいちゃんは、働き者が多い平礒のなかでも一番朝が早い。
働いて、働いて、その大切さを言葉というよりも背中で示してくれている。

 一生、働けるうちは働くことが、平礒の人の生き方。
おかげで、ふるさとの景観や農村の文化は残されてきた。
だから生きていくために最も大切な農業が受け継がれてきた。


 駱ちゃんの疑問を通して、平礒の人たちのすばらしさを改めて感じることができた。

 一方、経験も環境も違う駱ちゃんにとっては、理解しにくいことかもしれない。
でもそんな考え方や生き方もあるということを感じる大きなきっかけになったと思う。

 お互いの違いが、それぞれの豊かさにつながった。

 彼女たちが出発して1週間。
彼女たちが残してくれたものは生きている。

「また、帰ってきます。」
その言葉が、未来を楽しみにさせてくれている。



           岬人(はなんちゅう)