宮本常一が書いた「ふるさとの生活」という本を読んだ。
初版が25年前の1986年。
民俗学者柳田国男は、常一のことを
「永いあいだ、もっとも広く日本をの隅々の、だれも行かないような土地ばかりを、
歩きまわっていた旅人」と言っています。
常一は、ふるさと山口県大島郡の村を学びの場としました。
大島も瀬戸内海に浮かぶ1つの島。
私のふるさと伊方町平礒も日本一細長い佐田岬半島の陸の孤島のようなところ。
はたして、そこから何を学ぶのでしょうか?
本にはこう書かれています。
ふるさとには、学ぶべき大切なものが日常生活の中にいくらでもあり、
何気なく見たり、聞いたり、あるいは使ったりしているものの中に、
私たちの先祖の歩んできた歴史が刻まれている。
第1章の「ほろびた村」の最後に
「歴史は書かれている書物の中だけにあるのではなく、
このような、ほろびた村のあとにも、また私たちの暮らしの中にもひそんでいます。
そして、そういうものがあきらかになってこそ、日本人は本当にどんな生き方をしてきたかが、
あきらかになると思います。」
と結んでいます。
そしてこの本の最後には、
「村を、今日までのようにするためにかたむけた先祖の努力は大へんなものであったと思います。
その努力の中にこそ、のこる歴史があったのでした。
私たちは、いつでもその人たちの前進しつづけた足音が聴けるような耳と、
その姿の見えるような眼を持ちたいものです。」
と書かれています。
この考え方は、常一自身の生涯の座右の銘でもあったようです。
なるほど、「見方」、「聞き方」がとても重要ということです。
こう考えると、自分のふるさとに対して実に大ざっぱにしか見ていない、聞いていないことばかり。
ふるさとの今は、すべて先祖の努力のたすきリレー。
それをもっとよく知ることは、自分を知ること。
さらに自分の生き方を示していくような気がします。
すばらしいです。
「ふるさとの生活」って。
初版が25年前の1986年。
民俗学者柳田国男は、常一のことを
「永いあいだ、もっとも広く日本をの隅々の、だれも行かないような土地ばかりを、
歩きまわっていた旅人」と言っています。
常一は、ふるさと山口県大島郡の村を学びの場としました。
大島も瀬戸内海に浮かぶ1つの島。
私のふるさと伊方町平礒も日本一細長い佐田岬半島の陸の孤島のようなところ。
はたして、そこから何を学ぶのでしょうか?
本にはこう書かれています。
ふるさとには、学ぶべき大切なものが日常生活の中にいくらでもあり、
何気なく見たり、聞いたり、あるいは使ったりしているものの中に、
私たちの先祖の歩んできた歴史が刻まれている。
第1章の「ほろびた村」の最後に
「歴史は書かれている書物の中だけにあるのではなく、
このような、ほろびた村のあとにも、また私たちの暮らしの中にもひそんでいます。
そして、そういうものがあきらかになってこそ、日本人は本当にどんな生き方をしてきたかが、
あきらかになると思います。」
と結んでいます。
そしてこの本の最後には、
「村を、今日までのようにするためにかたむけた先祖の努力は大へんなものであったと思います。
その努力の中にこそ、のこる歴史があったのでした。
私たちは、いつでもその人たちの前進しつづけた足音が聴けるような耳と、
その姿の見えるような眼を持ちたいものです。」
と書かれています。
この考え方は、常一自身の生涯の座右の銘でもあったようです。
なるほど、「見方」、「聞き方」がとても重要ということです。
こう考えると、自分のふるさとに対して実に大ざっぱにしか見ていない、聞いていないことばかり。
ふるさとの今は、すべて先祖の努力のたすきリレー。
それをもっとよく知ることは、自分を知ること。
さらに自分の生き方を示していくような気がします。
すばらしいです。
「ふるさとの生活」って。