喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平成31年、新年の誓い ~孫娘から祖父への思い~

2019-01-04 | 家族
しばらくインターネットを触っていなかった。
久しぶりにフェイスブックもチェックしてみると、娘が以下のような記事をあげていた。
うれしくなるような内容だったので、記録しておきたい。


「明けましておめでとうございます。☀️
2019年は、何よりも人との繋がりを大切にし、謙虚に学習に取り組みます。
1月1日、祖父について語りますので、最後まで読んでいただけると幸いです。



 例年同様、祖父と共に初詣に行きました。
神社、お墓、お寺の順番でお参りをし、全ての場所で祖父は般若心経を唱えます。
その時、まるで祖父が別世界にいるように思えるため、私はその最中には決して声をかけないようにしています。
(私も祖父の後に続いて唱えてみたものの、ブレスのタイミングが掴めず息切れした)

 毎年、盆と正月には、妹のさやかさんを含め3人で墓掃除をし、一緒に手を合わせに行きます。
私が幼い頃は、祖父の作業を見ているだけでしたが、今では私たちも多くのことを手伝えるようになりました。
 今日、ロウソクの火を隣の墓石の線香に移した時、ふと気が付きました。
幼い頃は、火傷をするのが怖くて火は扱わないようにしていたのに、いつの間にか火を移せるようになったんだなぁ。
こんなに小さなことでも、祖父の役に立てると思うと嬉しい気持ちになります。

 毎年、お寺の参拝が終わったら「じゃあ先に帰っとくね~👋🏻」と言って早く帰っていました。
しかし今年は、少しでも祖父と過ごす時間を増やしたいと思い、祖父の歩幅に合わせてゆっくり帰りました。
 帰宅途中は、我が家の家紋やら、三崎高校の公営塾やら、神松名地域に多い苗字やらの話で盛り上がりました。
(ほぼ祖父が一方的に喋った)。
私は始終、「ふ~ん」の一言しか発しませんでしたが、その「ふ~ん」が去年の今頃より増えたことは間違いありません。



 あと3ヶ月で、大学進学のため、しばらくの間 祖父ともお別れしなければなりません。
毎日の「行ってきます」と「ただいま」に祖父が応えてくれることもなくなると思うと、寂しいです。
 朝補習に遅れそうな朝や、塾で疲れて帰宅した夜は、
正直この一言のために祖父母のもとに顔を出すのが億劫な時もありました。
(今思えば面倒くさがりもいいところ。祖父母宅まで7メートル)
それでも、特に高3になってからは、毎日欠かさず声をかけています。
その方が祖父母も嬉しいやろうし👍←上から目線



 祖父と話していると、自分が情けなくなる時があります。
最近はますますそうです。

 高2の春に言われた、「じいちゃんは、わがままなあんたらに、腹が立って腹が立って仕方ないんよ。」
という言葉が、ずっと心に引っかかっています。
祖父は何気なく言っただけだったのでしょうが、私はこの言葉を一生忘れないと思います。

 当時の祖父の目には、私はどんな風に映っとったんやろう……。
 今でも考えを巡らせますが、祖父がよく私たちにしてくれる昔の話を聞く限りでも、
そう言われるのも無理はないなぁと痛感します。

 私には想像もつかない程、祖父はたいへんな思いをしてきたということです。
 もっと頑張らんといけん、私は様々なことに恵まれ過ぎて、
努力することや 当たり前のことを当たり前にすることができなく(しなく)なったり、
人に感謝する気持ちが薄れたりと、とにかく周囲に甘えすぎているのだと大反省しました。
 それからは、少しでも ましな人間になれるようにと意識して生活してきました。


 あの時、祖父が例の言葉を言ってくれたおかげで、その時の傲慢な自分はいなくなった!
とまではいかないかも知れませんが、とりあえず私はあの言葉を言われた後の、今の自分の方が好きです。
 
 私が祖父ほどの苦労を味わうことは、おそらくこの先もないと思いますが、
今 自分の目の前にあることに、ただひたすら一生懸命に向き合いたいです。
 いつか、祖父の気持ちがほんの少しでも理解できる時がくると信じて、誠実に生きようと決めました。
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、人間にとって最も大切な部分は その点だと私は考えています。




 大学生になり、追い詰められることが必ずあると思います。
そんな時は、まず祖父に電話をしようと思います。
情けない私に喝を入れてくれるはずです。

 両親や友だちに助けを求めてしまったら、きっと皆優しく励ましてくれると思います。
その優しさに再び甘えすぎてしまうと、私はどんどん弱い人間になってしまいます。
辛くなった際、泣いたところでどうにもなりません。
泣く暇があれば、次にどうするかを考えたいと思います。
(とか言いつつ必ず泣くことになるんやろうなぁ笑笑)

 祖父は、言葉の表現こそ厳しいものの、私にとって最も効果的な方法で私を鼓舞してくれます。

 『祖父のように、自立した強く優しい人間になる。』
もしかすると、私の一生の目標となるかも知れません。
ありがとう。


 18歳。あと少しで家を離れる。
 改めて、祖父と向き合った正月。
大学卒業後、少しでも成長し、祖父に認めてもらえるように今から頑張ります。


 今年は、自宅から初日の出を見ました。


 朝は、鳥のさえずりで目を覚まし、夜は満天の星空が広がる。
山と海が目の前にあり、波の音が聞こえる。
控えめに言って最高。
 こんなにも良い環境で暮らすことができる幸せを、本日もかみしめております。

今年も、よろしくお願いします。」




 孫娘と祖父の心のつながり。
私は、娘の親としても、父の子としても、これほどうれしいことはない。

 ふるさとの田舎には、こんな心豊かな暮らしがまだ残っている。

 この文を父に見せたらどうだろう?
79歳になる父の喜ぶ顔が目に浮かぶ。


           岬人(はなんちゅう)