喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

大洲シネマサンシャインでの感動 ~映画「永遠のゼロ」を観て~

2019-01-11 | 感動
 先日1月6日(日)、大洲シネマサンシャインが20年間の幕を閉じた。
いくつかの思い出がある。
5年前、2014年(平成26年)の「永遠のゼロ」を観に行った時のこともその一つ。

 以下のようなことがあった。



1月11日(土)午後2:30から、遅ればせながら話題の映画「永遠のゼロ」を息子と観に行った。
ぜひ観に行きたかった、息子に観せたかった。

 私の祖父に思いをはせる。
祖父金太郎は、終戦間近の5月、乗りこんでいた船を攻撃され海の底へ沈んでいったとされている。
そしてわだつみとなる。
 ただこれに関しては、どこで、どんな状況だったかは分かっていない。
父さえ、幼すぎて祖父のことはほとんど覚えていないという。


 家族4人で撮った唯一の写真。




 また戦地から家族に何通かの手紙や写真を送っている。





 祖父は、どんなにか残された家族のことが心残りだったことだろう。

 祖母にすれば、どんなにか帰ってきてほしかったことだろう。

 そんな状況が、映画の主人公宮部久蔵と残された妻松乃とひとり娘清子と重なって思えてならない。
映画に引きこまれながらも、常に亡き祖父金太郎と残された妻ミチエ、武久、千鶴子とを重ね合わせながら観ている自分がいた。
 若くして戦死した祖父であったが、祖父がいなければ父も私も武蔵ら子どもたちもいない。

 静かな涙がほほを伝い、流れ落ちる。
戦争により、映画「永遠のゼロ」のような物語だけではなく、亡くなった人の数だけさまざまな悲しい物語があったのだ。

 エンディング曲はサザンオールスターズの「蛍」。
それを聞きながらまた亡き祖父や祖母のことを重ね合わせていた。

 となりに座った息子はどんなことを思っただろう。
あえて聞くことはしなかった。
「お父さん、感動したなー。」
という声で充分だった。


 エンディング曲が終わり、1号館を出るとき、思いもよらない感動が待っていた。
出口へ向かう人の流れの中に、私の前を歩く2人の男女。
 1人は、杖をつき足を引きづりながら歩くご老人。
年齢は80歳をゆうに超えているように思えた。
 もう1人は、そのご老人を横で支えながら歩く60歳過ぎの女性。
たぶん娘さんだと思われる。

 娘さんとご老人の会話が感動的だった。
「若い人がこんなに観てもらえてうれしいね。」
という娘さんの声に
「そうじゃな。」
というご老人のひと言。
 きっと戦争を体験した方なのだろう。
そして生きぬいてこられた。

 頭を下げ、礼をしたくなるような気持ちになった。
「本当におつかれさまでした。ありがとうございました。」と。 

 大洲シネマサンシャインの外に出ると、
ちょうど西の空が夕日に染まっていた。
仏教でいうところの浄土がある方向。
 
 その夕日に照らされ、階段を下りていく先ほどのご老人の姿がまぶたに焼きついた。
私にとって永遠のワンシーンとなった。
                    

  岬人(はなんちゅう)