1月9日午後、時折太陽が顔をのぞかせるものの、雪は降り止まず。
両親から昭和42年や昭和52年の豪雪の話を聞いた。
そのとき、新たな事実も知ることができた。
父曰く、「豪雪と干害は、一緒に起こった。」
昭和42年・52年の豪雪の年は、夏場は雨が降らない干害にみまわれたようだ。
伊方では、柑橘への潅水のため、水をめぐって傷害事件まで起こったことを聞いたという。
また、昼間は農作業をし、潅水は夜に行われるので、疲労のため健康を損なったり、事故を起こす人もいた。
父母は、当時を振り返り、「あの年は、本当、大変やった。」
と、まるで人ごとのようにサラッと言った。
たくましい。
「土と共に生きる」「土を愛する」とは、このような姿勢を言うのだろう。
両親の話を聞いて、インターネットで検索してみた。
「四国災害アーカイブス」という各市町が編纂した市町誌をまとめた、すばらしいサイトを見つけた。
〈昭和42年(1967)〉
〇6月~9月:干ばつ。被害状況は不明。 (旧瀬戸町)
〇7月20日~9月12日:総降水量は5.2ミリの大干ばつで、伊方八幡神社及び九町八幡神社で大雨乞いが行われた。(旧伊方町)
〇12月30日:大雪。伊方中学校観測所の最深積雪25cm、30日の最低気温-2℃。(旧伊方町)
〇大雪により、三崎町で雪害。(旧三崎町)
〈昭和52年(1977)〉
〇7月20日~8月14日:干ばつにより、果樹の落果、葉巻き、枝枯れが多かった。(旧伊方町)
〇2月18日:寒気のなだれ込みにより、三崎町で-6℃を記録した。(旧三崎町)
〇2月17日~19日:大雪、低温。伊方中学校観測所の最深積雪18cm、最低気温17日に-5.4℃。(旧伊方町)
まさに父母が語った話と一致する。
あれから54年または44年がたつ。
それ以降、雪害については、地球規模での暖冬ということもあり壊滅的な被害はなかったという。
まさに今回、災害は忘れたころにやってきた。
それを踏まえて父は、自然災害に対するいくつかのことを農業経営のポイントとしてあげた。
①柑橘の木全体を網で覆うことが、鳥害・雪害には効果的であり、費用対効果がある。
➁現在は清見タンゴールが主な品種だが、適地適作を考えた、越冬しなくてもよい新たな品種を探る。
農業経営の第一線を退いた父母だが、考え方は常に先を見据えている。
歴史や先人・お年寄りから学ぶことは多い。
岬人(はなんちゅう)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます