一見美談のように聞こえるけど、?と思ったニュースがあった。
それは、娘さんに代わってもう50歳代後半になられたお母さんが代理
出産した、というニュース。
ここから先は、あくまでも自分の考えで当事者の方には申し訳ないけ
ど、何が?かというと、俺は、この家族には「しゃあないがな」という考え
方が欠落していたと思うからやねん。
これは、子宮を取ってしまった娘がどうしても子供が欲しいというので、
その娘の母親が代理出産を引き受けたという話やけど、俺はこの話、
間違っていると思う。
その訳は、母親なら、いくら辛くても「もうあなたは子供の産めない体
なんだから“仕方ない”諦めなさい」と諭すのが本来の姿であって、代
わりに産むなんて話は親のすることじゃないはずやから。
命はどうしたって生まれない時は生まれないからこそ、生まれる時の
感動があり、それが失われる時の苦悩がある。だからこそ、命の大切
さが分かるようになるんやと思う。
それを“どうしても欲しい”からいかなる方法を使ってでも、「誕生」させ
るなんて、それはいくらなんでも生命の倫理に反しているし、命の大
切さを教えないといけない親としても失格やないのかなぁ。
子供を持つ人にとって子供は何にも代えられない宝やけど、子供を
産めない人にはそれに変わる宝がきっとあるはず。それを見つけさせ
てこそ、親やし、それを見つける努力をするのが人間やんか。
かなり手厳しいかもしれんけど、この場合の親は我が娘に心を鬼に
して「しゃあないがな」と言わなければいけなかった。俺は断じてそう
思う。
欲しいものが何でも手に入るようになってきた世の中、「しゃあない、
あきらめよか」という考え方が恐ろしいまでに欠落してきている。その
結果がこういう行為に現れてるんやろね。
俺のことに例えて言うと、指を失くしたのにギターを弾きたいというてる
のと同じこと。人生にはどうにもならんことがあるはずやん。
どうしてもあきらめないかんことは、あきらめることをあきらめたらあかん
ちゅうねん。