僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

あきらめずにあきらめる

2006-10-17 | Weblog

一見美談のように聞こえるけど、?と思ったニュースがあった。

それは、娘さんに代わってもう50歳代後半になられたお母さんが代理
出産した、というニュース。

ここから先は、あくまでも自分の考えで当事者の方には申し訳ないけ
ど、何が?かというと、俺は
、この家族には「しゃあないがな」という考え
方が欠落していたと思うからやねん。

これは、子宮を取ってしまった娘がどうしても子供が欲しいというので、
その娘の母親が代理出産を引き受けたという話やけど、俺はこの話、
間違っていると思う。
その訳は、母親なら、いくら辛くても「もうあなたは子供の産めない体
なんだから“仕方ない”諦めなさい」と諭すのが
本来の姿であって、代
わりに産むなんて話は親のすることじゃないはずやから。

命はどうしたって生まれない時は生まれないからこそ、生まれる時の
感動があり、それが失われる時の苦悩がある。だからこそ、命の大切
さが分かるようになるんやと思う。
それを“どうしても欲しい”からいかなる方法を使ってでも、「誕生」させ
るなんて、それはいくらなんでも生命の倫理に反しているし、命の大
切さを教えないといけない親としても失格やないのかなぁ。

子供を持つ人にとって子供は何にも代えられない宝やけど、子供を
産めない人にはそれに変わる宝がきっとあるはず。それを見つけさせ
てこそ、親やし、それを見つける努力をするのが人間やんか。

かなり手厳しいかもしれんけど、この場合の親は我が娘に心を鬼に
して「しゃあないがな」と言わなければいけなかった。俺は断じてそう
思う。

欲しいものが何でも手に入るようになってきた世の中、「しゃあない、
あきらめよか」という考え方が恐ろしいまでに欠落してきている。その
結果がこういう行為に現れてるんやろね。

俺のことに例えて言うと、指を失くしたのにギターを弾きたいというてる
のと同じこと。人生にはどうにもならんことがあるはずやん。
どうしてもあきらめないかんことは、あきらめることをあきらめたらあかん
ちゅうねん。