僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

魔が差すとき

2011-03-07 | Weblog
京大入試でのカンニングが社会問題になっている。でも、ここまで騒がれるのは、「現代の情報技術を最大限に利用し、個人の答案に公の意見を取り込んだ」からなんだろう。

これについては、騒ぎすぎだとか当然だとか、色々な意見があるが、私はこう感じた。

情報を運ぶデジタル技術には1か0しかない。繋がるか切れるか。繋がりそうで繋がらない、切れそうで切れない、という「揺れ」は存在しない。そのような技術が中心になっている時代に彼ら若者は生きている。

「魔が差す」ことは誰にでもある。でも、心が揺れていない人に魔は差さない。
デジタル時代の若者も、揺れる心を持つ人だったことに、私は少し安堵している。

※もちろん、カンニング行為を正当化しているわけではありません。

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