けた外れに友達の多い友達がいる。
いつやったか、そいつと飲みに行った時やけど、繁華街に必ずいる
いわゆるサロン系への客引きのお兄ちゃんにつかまったことがあった。
俺はそういう時はほとんどダンマリを決め込んで目も合わさず無視
するんやけど、その友達は、頑張ってるのぉ!とかなんとか適当に
話をしながら、結果は断る訳やけど、うまくはぐらかしよる。でもそ
の言動でその友達になぜ友達が多いのかが後でわかった。
そのお兄ちゃんを振り切ったあと、友達と飲み屋に入ろうとしてたん
やけど、どこも一杯で入れず、ウロウロと店を探してたらまたさっき
のお兄ちゃんにまた会ってしまった。するとさっきのお兄ちゃんが、俺
の友達にどうしたんすか!とニコニコしながら話かけてくる。友達が
店がどこも一杯で入れない、というと、そのお兄ちゃん、どこそこの
なんとかという店はおいしいし、安いし穴場でたぶん空いてると思い
ますよ!と教えてくれた。とにかくウロウロするのに疲れてもいたし、
騙されたと思って彼の教えてくれた店に行くと、確かに安くておいし
くて、しかも入れてしまったのよね。
最初に声をかけられた時、俺のように無視をしていたのではそうい
う情報は得られなかったと思う。その友達はそんなことを意識してい
つも愛想よくしている訳じゃないやろけど、なんかちょっとしたコミュニ
ケーションの取りかたがものすごくうまいんやね。
人生50年近く、友達から教わることって未だに一番多い。
そのものすごく友達の多い友達の中の一人でよかったわ。
車好きの人なら誰でも知ってると思うけど、最近の車にはABS(アンチ
ロック・ブレーキ・システム)という、急ブレーキを踏んでもタイヤをロックさ
せない装置が付いていることが多い。今日はこの話題でちょっと話をし
ようと思うねんけど、以前、車関係の会社に勤めていたことがある俺は
まあまあ車に関して詳しいので、ここは車ど素人の方に向けて、もう少
しABSについて詳しく解説させてもらってからにしましょう。
何故ABSが必要かというと、
1.タイヤはスリップさせてしまうと急に制動力を失うので、制動距離が長
なり、ハンドル操作も効かなくなってしまう。だからスリップする寸前の
ところまで強くブレーキを効かせるのが一番制動力が高い。
2.でも実際に運転していて急ブレーキを踏む場面というのは切羽詰ま
っているので、よほど運転に慣れている人でなければ、瞬間的にそう
いう芸術的なブレーキングはできない。
そこで、コンピューターがタイヤのロック状況を分析し、ロックする寸前で
制動力を緩める→また強める→緩める・・・を超高速で繰り返してロッ
クさせないようにするのがABSというシステムなのだ。簡単にいうと、教
習所で習ったブレーキングの基本、ポンピングブレーキを自動的にして
くれる装置。これにより、運転操作に慣れていない人が急ブレーキを
踏んでも、制動力を失うことなく、ハンドル操作もできる状況が保たれ
る。
とまぁ、このように優れたシステムで、例にもれず俺が今乗っている車に
も付いてるんやけど、そんなものは俺のような運転自慢の人には無用
の長物やと思ってたわけよ。
ところがその考えがいとも簡単にくつがえされる出来事があった。
いつやったか夜の新御堂を運転していた時や。前の車が急にブレーキ
を踏んだかと思ったらその前の車に激しく追突し、俺も慌てて急ブレー
キを踏むことに。そこそこ車間を取って走っていたんやけど、いかんせん
夜の新御堂、結構スピードを出していたので、そう簡単に車は止まら
ず、ぐんぐん前の車が迫ってくる。もう当たる!と思った瞬間、ABS君
や。いやー、ものすごい制動力を発揮してくれたね。ブレーキングを始
めて止まるまで3~5秒程度やったと思うねんけど、最後の数秒はホン
マに壁に当たったかのような制動力でピタッと止まりよった。
幸い後続車は離れていたので、逆に追突されることはなかったし、自
分が当たった感触もなく、音もしなかったので、何とか追突は免れた
と思ったけど、前を見ると俺の車と前車がもうぴったりとくっついている。
やっぱり当たったんかな、と思って恐る恐る降りて見てみると、その距
離は約1~2ミリ。まさに寸前のところで止まっていた。
その時の運転自慢の俺のブレーキングはというと、もう床にブレーキが
くっつかんばかりに思いっきりペダルを踏みつけ、腕をつっぱり、ロックさ
せないどころか、絶対にロックさせたる、と言わんばかりの完全にど素
人さん状態。ABSがなかったら間違いなく数十万の物損とヘタする
と人身事故にまでなっていたやろう。
昔は車をラリー仕様に改造して走り回っていたし、今でも危機回避
能力を含めて、運転には絶対の自信を持っていたのにこのざま。
尊敬するさんま兄さんが言っていた。「人は絶対天狗になる時があっ
たほうがええ」と。
確かにそうやと思う。天狗になっていた分、鼻をへし折られた時のショ
ックが切々と心にこたえ、謙虚であることの大切さをとことんまで教え
てくれるから。
今は、自分の心にもABSが欲しいのであります。
前にも書いたかな?情けないとかバカバカしいと思うような苦情ほど、
疲れるもんはない、って話。
どっちも疲れる最大の理由は、どんなバカでも情けない相手でも、一
人の人間やから絶対にバカにしたらあかんということが基本にあるので、
文句のいいようがなくて、言ったところで分からん人を相手にせなあかん
から。
この間またそれがあったのよね。
対象は例にもれず郵便局。なんでも郵便局と市役所、それと社会保
険庁は対応が悪いというクレームの多さでワースト3にランクされているら
しいけど。
内容は、往復はがきの不手際。具体的には往信・返信の返信のほう
を先に届けよったという考えられないミス。つまり相手に届く前に自分に
返ってきてしまったわけよ。
しかもそれは長女の就職関連の申し込みはがき。10/10の消印で先
方に届く必要があったのに、その10日の夕方にウチに届いてしまった。
あわてて嫁が郵便局に電話。どないしてくれると噛み付いたら、とにか
く速達ですぐに出すという。ただ、そのはがきの返信の方には既に消印
が押されている訳で、就職関連のはがきなのにそんなおかしなことでは
体裁が悪いし、何が採用に悪影響を及ぼすかも分からないので、とり
あえず嫁は郵便局に出向いてこのクレームの処理を依頼し、結果まで
を確認することに。
そこで、これはあくまでも郵便局のミスであり、応募者には何ら非のな
い旨を相手の会社の方にキチンと説明する文書をすぐ書いて自分に
見せ、それを添付した上で、すぐ配達するようにと命じた。
ところが、文書はすぐ書けない、という。それなら、書けたらすぐ自宅に
文面をファックスして欲しいというと、今度はそれは社内公文書になる
ので、客への直接のファックスは禁止されているとのたまったらしい。
相変わらずそんなふうにいつもの役所仕事で、埒が開かないので、嫁
は結局書けた文書を自宅にすぐ届けなさい、ということで話をつけ帰っ
てきた。
で、届きましたその文書。内容を全部書いてもええねんけど、書くのも
疲れるくらいバカバカしいのでかいつまむと、
-----------------------------------------------------------------------
拝啓
1.時候の挨拶と相手(実際に配達する郵便局の局長)の体調伺い。
2.頭語
3.本文
この度、当局のミスにより、○△×・・・・お客様に多大なるご迷惑を
おかけしてしまいました。ついては、このはがきは10/11中に必ず手渡
しにて配達していただきますよう、お願い申し上げます。
敬具
-----------------------------------------------------------------------
ま、こんなとこですわ。アホみたいな社内の決まりにだけ従った文面で
、こっちが言うてるウチ(お客)には何の非もない、ということが一言も
書かれてない。ホンマにバカにしてるのかと思うよね。
嫁からこんな文面が来たという電話があったので、こちらから受け取った
方に電話してちゃんと伝言を聞いてもらったか確認するから、実際に配
達する人に届け先の会社の受け取った方の名前を聞いて帰ってもらっ
て、こちらに報告させるようにと言っておいた。そうすると、ほどなく嫁に、
きちんと届けて、不手際の件もちゃんと伝えました、と連絡が入ったらし
く、ようやく落着というのもバカバカしいようなお粗末なエンディングを迎
えたわけ。
往復はがきの返信の方を先に出すなんて聞いたこともないし、考えら
れへんミス。しかも、そのあとの対応もこれまた、どうやったらそんなにア
ホなことができるの?と思うくらいのホンマにただただバカバカしいこの件
やけど、そんな所にも立派な人はたくさんいるはずやし、今回、苦情の
対象になった郵便局の人も、おそらく家庭を持ち家族を支えて、家で
は立派なお父さんをされているんやと思う。
だから仕事の中身ではどんなに激しく責めても、やっぱりどんなことが
あっても「相手を人間的に直接バカにする」ということはいかんと思う
ので、郵便局の人には嫁の言うたこと以外、もう何も言わんかったけ
ど、俺達の、この地球を3周半ほど走ったような疲れは残ったまま。
北朝鮮を相手に外交をされている政治家の方々の苦労はこれの何
十倍にも何百倍にもなるんやと思い直し、訳のわからん疲れのとり方
をしている私であります。
まず、朝飯に何を食べたかを昼には忘れてたりする。
それから、風呂でシャンプーしたかどうかを風呂を上がる時にほぼ毎日忘
れてる。まぁ、これは髪の毛の量のせいで、洗っても洗わんでも大して差
がないということの影響もあると思うねんけどね。
そして何よりすごいのが、「パソコンの前に座ると勝手に電源が入ってい
る」というやつ。「ようこそ」という画面が出てるから座った瞬間に電源が入
ったことに間違いない。そんなことが2回連続であったので、俺にはなんか
特殊な能力が備わっているのでは?と思い、嫁さんや子供達にそれを言
ったら「自分で入れてるに決まってるやん」と至極当たり前に自分でも思っ
てることを言われてしまったんやけど。
ついでに、ちょっとこれって軽くヤバイ?って聞いたら「軽くない」とこれまた
予想通りの答えが。
これは・・・かなりやばい状態やけど、まだ人が正直に言ってくれてるうちは
やばい中でも救いようがある。
皆さん、俺が何回も同じことを書き始めたら、どうぞ遠慮なくご指摘くださ
いませ。
最近、嫁さんが友達の紹介で新しい化粧品を使い出した。
なんでも、紹介してくれた友達の話によると、その化粧品を使うと
女性の気になる肌のシミがとれ、つやがでて色が白くなり、ファン
デーション?ていうのかな?なんかよう知らんけど、それを塗らなく
ても化粧品がよくのるようになり、といいことづくめらしい。
しかも、それは話だけでなく、実際にその友達の肌がどんどんきれ
いになってきていて、友達自身が動かぬ実証として説得材料に
なっているので、少々のことでは人の話に右往左往しない嫁さん
も、それなら、と使い始めたわけ。
で、効果のほどやけど、嫁が美容院に行って髪の形が全く変わっ
ていても気付かん俺でも、確かに肌がきれいになったと分かるし、
昨日ひさしぶりに俺の家を尋ねてくれた後輩の奥さんも、きれいに
なったなぁ、と驚いていたくらい。
まぁ、世の中にはものすごい化粧品があんねんなぁ、と感心してる
んやけど、もっと感心したのがその後輩の奥さん。
俺とこの奥さんと旦那である後輩とは、前の会社で一緒に仕事を
させてもらっていて、昔から良く知っている。二人は社内恋愛で結
婚し、この少子化の時代にあって、橋下弁護士と共に子供を5
人も育てている日本の明日を担う夫婦だ。
俺達夫婦が二人の仲人をさせてもらったという縁もあって、今も家
族ぐるみで仲良くさせてもらっている。
そして、これから話をする奥さんのことにだけついて言えば、昔から
天真爛漫というのはこの人の為にあるんやろう、というくらい明るく
気立てのいい人で、まあどうしようもなく楽観的なところはちょっと
俺に似ていて、若干の○ホでもある。
で、ようやく本題やけど、なぜその奥さんに感心したかというと、結
婚して20年近く?経ち、子供を5人も育てるのに、苦労を全く
感じさせず、その天真爛漫さになんの翳りもないから。
今もスマップが好きで、ウチの娘とたまにメールをし、玄関先で俺達
とバカ話をしている姿は結婚前からおかしいくらいに、というかおかし
いねんけど、一点のぶれもない。
俺はそれを見てすごいお方やと思うと同時に、彼女がとても「美し
い」と感じたのだ。
化粧品で女性がきれいになることが悪いわけじゃないし、外見から
内面がきれいになるという効果もあって、女性にとってこの化粧品
は本当に魅力的で画期的やと思う。
でも、本当の女の人の美しさとは、奇跡的な化粧品が作りだすも
のではなく、奇跡的なまでに純粋な内面が作り出すものなのだと
いうことを今日彼女は玄関先でバカ笑いしながら教えてくれた。
彼女もこの化粧品に興味を持っていたみたいやけど、彼女にそん
なものは必要ないと思う。
PS:美しい人への伝言
こないだ、家に来てくれた時にちょっと俺のことを褒めてくれたので、
お礼に褒め返しときました。たまに俺のブログ読んでくれてるみたい
やけど、話半分、いや3分の1で聞くようにね。
使ったのがギター。一日5~6時間は触ってたなぁ。もちろん今日も
同じくらいは触るやろし。
なんというか、練習もする訳やけど、とにかく楽しくて仕方ない。
最近ちょっと左腕が痛くて、医者にいったら筋を痛めているということ
やったんやけど、そんなことくらいで医者に行くのは、もし左腕が動か
なくなって-右はまだ救いようがあるけど-ギターが弾けなくなったら
どうしよう、という心配があるから。刃物を使う時は、右手はともかく、
絶対左手を怪我しないようにして使うし、重いものを持つときは、
極力右手で持つし。ギタリストでもないのに、もうプロみたいな気の
遣いようや。
色々大切なものはあるけれど、今一番大切なものは左手かなぁ。
自分のものながらちょっと左手がうらやましかったりもするのです。
こんなことを言っていた。
「感動せずに生きててどうするんですか」
安藤さんは例の東京オリンピック招致の際の、グランドデザインをまか
されているらしく、これは、東京オリンピック招致に向けてのコンセプト
のようなことで話をされていたんやけど。
感動の最たる要因となるものは、「見たことのないもの、知らないもの」
でも、誰でも歳をとるとそれなりに「初めて」ということが少なくなってきて
それには新鮮さがないし、結果がわかってしまうから、感動が薄くなって
くる。感動せずに生きていても仕方ないのは分かっているのに、感動せ
ずに生きざるを得ない毎日を過ごしてしまう。
今日、安藤さんの言葉を聞いてて思った。やっぱりそれじゃあいかんと。
じゃあ、どうしたら感動できるのかと考えてみたら、それはやっぱり好奇
心に尽きるような気がするな。「なぜ?」と疑問を持ち、それに対して
自分の五感を総動員すれば、何か感動するものがあると思うねん。
なぜくだらないと思いながらもテレビや週刊誌の不倫騒動を見てしまう
のか。しかもなぜその相手が自分だったらと考えたりしてしまうのか。
なぜ興味もないのに、皇室のエッチは誰が教えるねんやろとか、AVを
見たことあるんやろかとか考えてしまうのか。
このような「なぜ」にひたすら自分自身が応えることで、人は感動・・・
せぇへんわなぁ。
なぜもうちょいマシななぜを思いつかんのか考えたほうが、感動に近づ
きそうであります。
とても若い頃、実用新案なるものを考えようとしたことがあった。
なんたってその魅力はアイデアひとつで大金が手に入り、そのアイデア
は結果から見ればいたって簡単なものが多かったから。
実用新案の基本は組み合わせ。それも単純に一緒に使うものふた
つの組み合わせというのが多い。今はあんまり見んけど、たとえば鉛筆
のおしりに消しゴムなんていうのは代表的なもの。
そこで俺も考えたね、一緒に使うものの組み合わせを。
で、思いついたのがほうきとちりとり。えんぴつと消しごむのごとく、ほうき
の柄の後ろにちりとりをくっつけるのだ。
やったー!実用新案完成や!と思った瞬間、気がついた。
どうやって使うのこれ?
若い頃はホンマにアホやねぇ、まぁ今もたいして変わらんけど。
去年買ったMP3プレーヤーやけど、この夏の間は一度も使わなかった。
何故かというと、超暑いのが嫌いな俺は、夏の間は耳の穴をちょっと塞がれて
も暑いので、たとえ耳の穴にいれるだけのヘッドフォンでもつけるのが嫌になる
からだ。いくら聞きたい音楽があろうがなんだろうが、夏は何が何でも暑さから
逃れる、ということを最優先してきた結果そうなったわけやね。
でもようやくそんな暑い時期も過ぎ、世間はもう長袖を着ている今日この頃、
やっと半そででも気持ちいいなぁと半そでを愛用している俺が、ヘッドフォンを
つけられる季節がやってきた。
半年ぶりにきくMP3。内容は半年前と変わってないのに、なんかすごく新鮮。
本を読む通勤電車の中の時間がまた音楽を聞く時間に変わった。
そういえば衣替えの季節。季節が変わるというのは刺激が変わるということで
もあるんやね。
昨日の深夜、おふくろが急に歯が痛くて寝れないと言い出した。
早速救急の歯科を探したんやけど、高槻から一番近くても大阪市内の
阿倍野にしかそれがなく、どうしようかと悩んでいたら、次女が勤務先の
先生に聞いてみると言う。そこで今更のように娘が歯科医に勤めているの
を思い出したんやけど、娘も自分の勤め先の先生はうちから30分の吹田
やし、救急を教えてくれと言ったところで、、自分が診てあげるというに決ま
ってることが分かっているので、もし近くに救急があればその方がいいと思っ
てしばらく黙っていたらしい。
それでも阿倍野までは行ってられないので、ここは娘に頼り、先生に電話
してもらったところ、案の定、深夜にも関わらず診てくれるという。
ここはとにかくおふくろのことが一番なので先生の言葉に甘えることにさせ
てもらって、吹田まで俺と娘でおふくろを連れていくことにした。
着くと深夜の歯科医は当然閉まっていて、真っ暗。ほどなく先生が来ら
れ、中に入れてもらうが、診察に必要な機器の電源は落とされ、さまざ
まな治療具も片付けられている。
すると、娘が全ての機器の電源を入れ、治療具を出し、治療の準備を
始めだした。先生はおふくろを横にならせて椅子に座り問診を始めてい
る。手袋をはめ、マスクをし、先生が医者の姿へとどんどん姿を変えてい
く中、娘はいつの間にか先生のそばに立ち、先生が手を出すだけで、そ
の手の中に必要な治療具を載せていく。特に先生からの指示もないの
に次々と的確に必要なものを渡す。おふくろがうがいをするわずかな時
間にカルテに何か記入し、先生に指示された薬を用意し、うがいが終わ
る頃にはまた先生のそばで器具を渡す。なんかたまにテレビで見る手術
室の光景をみているみたいにテキパキと仕事をこなし、当たり前のことな
がら、先生の指示には「ハイ」とだけ答えて、見事に先生の助手をやり
遂げていた。
娘の仕事ぶりを見る機会なんて今までなかったし、これからもあるとは思
ってなかったけど、親バカながら、その仕事ぶりを見て、いつの間にこんな
に成長したのか、と目を細めてしまった。
やがて、治療は終わり、おふくろは神経を抜くなどの処置をしてもらい、
痛みが取れたらしい。ただ、明日(今日)もう一度処置が必要なので、
また来院するようにとのことやった。
先生からそのような指示を受けている間に娘は器具他の後片付けを
済ませていた。
そして今日は嫁におふくろを連れて行ってもらい、また治療をしていただ
いた訳やけど、そこで娘の仕事ぶりを初めてみた嫁が俺と全く同じことを
言っていた。「あの子、しっかり仕事してるわ」
親バカならぬバカ親二人やなぁと思いつつ、バカ親でも命がけで育てれ
ば子供は育つんやなぁ、となんや嬉しいようなはがゆいような気持ちに
なった一日でした。
この難波店は売り上げ日本一のYマダ電機の中にあって、極端に
売り上げが悪いらしく、ネットにもそういうことが載っている。
仕事先が近くにある関係でたまに寄ってみるんやけど、その空きよ
うは、いつ行っても閑古鳥が鳴いていて、俺一人に対して店員さ
ん3人くらいが代わりばんこに対応してくれるくらい。Yドバシカメラ
のように店員さんを探し回らなくてもいいわけや。
そんな状況やから分からない商品のことを聞いたりするのには事欠
かんな、といつも思ってたんやけど、今までそんな質問を必要とする
ような機会もなく、俺のYマダ電機難波店は、たまに商品の陳列
を楽しむだけの店やったわけ。
でも今日ようやく、自分では探すのがめんどくさいものを買う機会が
あり、その数の豊富な店員さんに聞いてみる機会が訪れた。
さぁ、聞くぞ、と意気込んで周りを見るといつものようにいるわいるわ、
ほんとに誰にでもすぐ聞けるなぁと思って、一番近くにいた男性に、
かくかくしかじか、このようなものを探しているのですが、と尋ねると、
とても親切な対応で、「少々お待ちください」という。でも、その人を
見るとどうも自分では分からんらしく、またいっぱい近くにいる仲間2
~3を呼び寄せて聞いている。
で、教えてくれたこと。「おそらく地下にありますが、3階かも分かりま
せん」ですと。
思わず、なんじゃそら!と言いたくなってしまった。だって、結局は数
が多いだけで、商品知識や店内の知識がある人がおらんっちゅうこ
とやねんもん。
Yドバシカメラの店員さんは感心するくらい商品知識が豊富で、対
応も親切なんやけど、あまりのお客さんの多さに店員さんの数が追
いついてないので、ちょっと何かを聞くのにもえらく苦労する。
それも不満ではあるけれど、数がおるのに何も分からんというのに比
べたら、はるかにマシや。
価格が特別安い訳やなし、商品が飛びぬけて豊富な訳やなし、
何故、Yマダ電気がダントツの売り上げNO.1なのかよく理解できん。
何かとんでもない資金源があるんやろね、きっと。
またなくなった人の話やけど、レイチャールズという人のこと。
今日レイチャールズのCDを聞いていたら、サザンの桑田さんが作った
「いとしのエリー」の英語版が入っていた。
それは、桑田さんの楽曲の素晴らしさと、レイチャールズの歌唱力が
相まって世界で十分通用する歌に仕上がっていたと思う。
でも、桑田さんのセンスは確かに素晴らしいけど、今まで日本人が
作った曲で素晴らしい曲は何曲もあったはずやのに、どれひとつとし
て世界で通用しなかったのは何故なのか?
当然言葉の問題があり、歌唱力の問題もあり、ハートの問題もあ
るやろう。でも俺は、一番大きい理由は「プライド」やと思うねんな。
ロックやブルース、ソウルなど現在の音楽の中心になっているのは、
皆アメリカやイギリス生まれ。彼らには「音楽後進国の日本人の作
った曲なんか歌えるかい」というプライドがあるはずで、ちょっとくらい
できのいい曲でもそれをカバーして唄うなんて考えられへんねやろう。
その中で、レイチャールズや。彼は貧困や様々な差別に苦しみな
がらも世界的な一流ミュージシャンにまでなった。そんな彼やからこ
そ、プライドに縛られずに日本人が作った曲でも素晴らしいものは
素晴らしいと認め、唄うことができたんやないやろか。
世界に通用する桑田さんもあっぱれやけど、世界をひとつにするレ
イチャールズはもっとあっぱれやねぇ。
星野道夫さんという今は亡きすばらしい写真家がいる。
俺は星野さんがアラスカで動物を撮っている所をテレビで見てしか知らない
ので、動物写真家だと思ってるけど、専門分野が何なのかは分からない。
ただ、ネットで見た限りではそんなところでほぼ正解やと思う。
ところで、俺がこの星野道夫さんに興味を持ったのはその言動にとても共
感したから。この人はアラスカで白熊の素晴らしい写真をたくさん撮られて
るんやけど、その全ての写真は護身用のライフル等を持たずに氷上にテン
トを張り、好機を待って撮影している。
あの厳しい気候のアラスカ、動物の頂点に君臨する白熊でさえ、食べ物
はほとんどなく、人間などは格好のエサになってしまうであろう、その条件
の中でなぜ護身用のライフルさえ持たずに撮影するのか?
少し記憶があいまいやけど、星野さんはこう言っていたように思う。
「動物には相手を見分ける能力があるのです。危害を加えてくるか、こな
いか。危害を加えないと判断すれば、彼らから攻撃を加えてくることはあり
ませんが、ライフルを持っていれば彼らはきちんとその臭い(雰囲気)を嗅ぎ
分けて、逃げ出すか攻撃を仕掛けてきます。だからライフルを持っていると
いづれにしても彼らの自然な生態を撮ることができない。私は自然を撮る
仕事をしている訳で、そういう大自然の力を信じていますし、信じているか
らこそ、写真が撮れるのです。」と。
もう、これを聞いた時、なんと素晴らしい信念を持った写真家なんだろう、
と感激したことを覚えている。
その何年か後、星野さんはアラスカで白熊に襲われ、命を落とされた。
亡くなられた方に対して失礼なことやけど、その時俺はその死に様にまで
感動した。なんという見事な死に様かと。谷川俊太郎さんが言った「僕は
自分の生が墓石になってくれることを願っている」をそのまま体現したその
姿は「あっぱれ」というしかない。星野さんが襲われた詳しい状況は知らん
けど、俺は、白熊は単にお腹がすいていただけで、星野さんはただの食料
に過ぎんかったんやと思う。
星野さんの信念が間違っているなんてこれっぽっちも思わないけど、動物
たちは単純に、生きるために、そんな信念をいとも簡単に裏切ったりもする。
だからこそ、大自然はこんなに厳しくも美しく、人間はそれに従わなければ
ならない。
「ライフルを持たない」。たったひとつでも信念を貫くことで、こんなにも大き
く大切なことを語れるのだと、星野さんは教えてくれた。
あちこちで色々なオーディションやコンテストをやってるね。
特に音楽や芸能のそれは種類も多く応募する人も多いみたいで、どれも
結構盛り上がってるようや。
で、驚くのが、その倍率の高さ。4000人に一人とか、場合によっては何万
人に一人の割合でしか栄冠を掴めないものがほとんど。
だから、こういう所で栄冠をつかんだ人は、目指す道で人並み外れた能
力(ビジュアル等、生まれつきの才能も含めて)を備えている訳で、そのほ
とんどが世に出て人々に知られる存在になるはず。
でも、次はその世の中で知られた人の中で、「一流になれるか」というコン
テストが待っていて、また生き残りをかけた戦いが始まるということになる。
逃げれば忘れ去られていく厳しい戦いが。
選ばれた人の中でまた選ばれ、そしてその中でまた選ばれ・・・ものすごい
壮絶な戦いを勝ち抜くにはそれ相応の努力がいるのはもちろんやけど、
やっぱり、何万人という中から選ばれるという天賦の才能が基本にあるこ
とは間違いない。そしてこの天賦の才能は発揮する場を見つけさえすれ
ば、誰にでもあるものだと思うのだ。
ということで、自分の天賦の才能を発揮できる場を考えた。
アデランスのヘアーモデルという仕事はどうやろ?これこそ、毛髪がナニして
る人にしかできない仕事であって俺はまさに選ばれし人や。
で、ちょっと友達に聞いてみた。俺こんなこと考えてるんやけど、どう思う?
その友達曰く。
あーいうモデルは普段はとても貧相で、カツラを付けたら急に生き生きする
というような人が適任で、あんたはハゲ頭がとってもよく似合う人やからあか
ん!
うーん、これだけは選ばれる人になれる分野やと思ってたのに・・・
俺って何をやったら選ばれるんやろか。