コタンクルカムイのまったり生活

野山の散策、小さな旅行、テニス遊びなど、札幌生活を不定期に掲載。
'06年版は「みみずく先生の日記」で。

秋の初めと言うには早い四国 - 10/9 内子 -

2009年10月16日 | 伊予
JR内子駅から徒歩で約20分ほど歩くと、浅黄色と白漆喰の重厚な外壁に代表される「八日市護国の町並み」に入ります。
でも多くの観光客は自家用車かバスで護国の町並みの外れにある駐車場で降りるので駅前の姿は気が付かないでしょう。

 
列車を降りて駅を出るとこんなひなびた風景に出会います。
イネは間もなく刈り取りの時期ですね。
内子線 (内子-大洲:大正5年5月1日~昭和60年11月24日) を走った蒸気機関車の内、最後の蒸気機関車で、
昭和44年4月から昭和45年3月末までの間、町内や小田川流域で生産される木炭や木材の運搬に活躍していたのだそうです。

 
護国の町並みには長らく修復中で確か昨年修復完了した木蝋生産で財をなしていた豪商の家・本芳我邸があります。
国指定重要文化財です。中には入れませんが素晴らしいお庭を見ることは出来ます。
庭を含めた屋敷の維持・管理の費用はバカにならない額なんでしょうね。

 
売らんかなのお店もありますが、お客さん任せの品を置いているところもあります。
そして小さなお宮(?)さんも。
こういうのが好きなんですね。

 
駅と護国の町並みの間は静かな商店街です。
元薬屋さんが素朴な博物館になっています。かつて商っていた色々な薬が展示してありました。


こんなものを見つけました。ドラゴンボールのキャラクターを 2.6 kg の色づけしたお米(古米)で一ヶ月半かけて丁寧に作ったものとのこと。


内子座の外観です。是非中にも入って下さい。桟敷席や、この芝居小屋を作るに当たって協力した商店の名前が歴史を感じさせてくれます。
地下にも入ることが出来て、せりの仕掛けも見られますよ。
もちろん今でも折にふれ歌舞伎を含め催し物に使われています。


松山着任の年から、毎年必ず2,3度は訪れていました。ですから、年々町並みの雰囲気が変わっていくのを悲しく見守ってきました。町並みのところどころにあったお店も代替わりが出来ず無くなってしまったり、大好きだった喫茶店も店主の女性が嫌気がさして止めてしまったり。
かわって売らんかなのおみやげ屋さんが少しずつ増えてしまっています。
多分もう行くことはないでしょう。

次回は松山城近辺のご紹介です。