歴史を知ることは、これからを見据えるうえで重要ですので少し書きます。
玄海原発の誘致の話がはじまったのは1965年(昭和40年)46年前の話です。
当時は、営業用原発が一基のなかった頃です。
40年前の玄海町は、原発マネーが横行し前町長、現町長、現職課長、職員、漁協組合長が相次いで逮捕される事件が発生しました。
当時の玄海町役場は、日中から宿直室に雨戸を閉めて、花札賭博をしたり競艇がよいが常態化しいたことを「課長ら賭博で逮捕」「徴税をつまみ食い」と新聞は伝えています。
原発用地買収を玄海町が下請けしていたことも裏付けられています。
隣接の町には、保育園やプールあるのに、玄海町には一カ所もなく、有浦小学校講堂が有浦中の講堂を兼ね、さらに町の公民館を兼ねるといった具合に町民に犠牲をしいる町政でした。
九電は、土地買収に当たっては買いたたきをしていたため、土地代の不満を玄海町は裏金でカバーしていたのです。
事件後に発表された佐賀県の「財政監査の結果について」では、玄海町に渡された裏金は推定2億4400万円で県地方課の見解では「公金ともいえない、強いていえば企業からの一次預かり金」と説明しています。
札束で、人の心を狂わせ、町政をものみ込んで「原発建設推進」してきたのです。
原発が完成したいまも「交付金に群がる行政、住民」の構図は変わりません。
福島原発の事故を見ると、あまりにも代償は大き過ぎました。
これまでの道を見直す時期が来ているように思います。
玄海原発の歴史と危険性を玄海在住の一人の教師と住職という立場から書かれた「玄海原発に異議あり」仲秋喜道著書 が注目されています。