湖畔人です。
前回は、神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%、ない場合は考えても仕方がないけど、ある場合は地獄に行くかもしれないから、そもそもあるべき生き方って何か知っておいた方がいいよね、と言う話をしました。
今回は、その続きをしたいとおもいます。
まぁ宗教も多いし色んな考えがあると思うけど、やはり、普遍性があるもの、誰にとっても公平で納得感がある世界観を選択する事が大事だと思うのです。
ある民族だけは神のお眼鏡に叶うが他の民族は神の敵とか、そんな偏った考えではなくて、男女を問わず、国を問わず、民族や時代を問わず、誰にとっても公平で納得感のある宗教観を持つ事が大事ですよね。
その点からすると、つい最近まで活躍された日本の宗教家も言われていましたが、全ての人類は神の分け身魂で、一部であり、神の子達であり、転生輪廻の中、この世に何度も生まれては、様々な経験を積み重ね、その経験を通して人間の器を広げ、より神近き存在へと進化して行く事が期待されているの存在が、我々人類である、と言う見方が大分普選性があるように見えます。
一方で、その転生の修業過程の中で、他人を傷つけたり、多くの間違いを犯しがちなのも我々であり、そうした過ちを犯したならば、それらは負のカルマとして残る為、それら負のカルマを解消する作業が必要となり、その解消作業を、転生の中、この世において、逆の立場を経験する事で解消を試みたり、あの世において(特に地獄において)そうした解消作業を実施しているのが、我々と言う存在、とも言えるようです。
前回は、神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%、ない場合は考えても仕方がないけど、ある場合は地獄に行くかもしれないから、そもそもあるべき生き方って何か知っておいた方がいいよね、と言う話をしました。
今回は、その続きをしたいとおもいます。
まぁ宗教も多いし色んな考えがあると思うけど、やはり、普遍性があるもの、誰にとっても公平で納得感がある世界観を選択する事が大事だと思うのです。
ある民族だけは神のお眼鏡に叶うが他の民族は神の敵とか、そんな偏った考えではなくて、男女を問わず、国を問わず、民族や時代を問わず、誰にとっても公平で納得感のある宗教観を持つ事が大事ですよね。
その点からすると、つい最近まで活躍された日本の宗教家も言われていましたが、全ての人類は神の分け身魂で、一部であり、神の子達であり、転生輪廻の中、この世に何度も生まれては、様々な経験を積み重ね、その経験を通して人間の器を広げ、より神近き存在へと進化して行く事が期待されているの存在が、我々人類である、と言う見方が大分普選性があるように見えます。
一方で、その転生の修業過程の中で、他人を傷つけたり、多くの間違いを犯しがちなのも我々であり、そうした過ちを犯したならば、それらは負のカルマとして残る為、それら負のカルマを解消する作業が必要となり、その解消作業を、転生の中、この世において、逆の立場を経験する事で解消を試みたり、あの世において(特に地獄において)そうした解消作業を実施しているのが、我々と言う存在、とも言えるようです。
そうした間違いも犯しがちな存在でもある我々ですが、一方で、経験により人間の幅が段々と広がり、より他人を許しやすくなったり、より他人を受け入れられる広い器になって行く事も可能な存在が我々であり、長い意味で見れば、実は、段々と神に近づく過程にあるのが、我々と言う存在である、そう言えるかと思います。
そうした世界観、宗教観が、比較的誰にでもフェアな物の見方、と言えるのではないか?と思うのです。
どうも我々と言う存在は、神の皮膚の上に生えたうぶ毛の一つ一つのような、とっても小さな部分的存在のようですが、そんな小さな存在であっても、様々な環境に生まれては、悩み、苦しみ、葛藤をしながら最適解を求めて思考錯誤を繰り返し、改善を試し、と頑張って来た結果が、我々人類の歴史なんだろうと思います。
そして、どうも我々の本来の住処は霊的な世界、あの世、天国こそが我々の本来の住処、居場所の様です。ただ、その霊的世界は波長導通の法則が貫かれている世界のようで、自分と似た考えの、同レベルの人達ばかり集まった大変居心地が良い世界の様なのですが、でも似た者同士ばかり集まっているので、幅が広がっていかない、成長が無い世界でもあるようなのです。なので、より人間の幅を広げ、より神近き存在に進化するためには、自分と全く違うタイプに出会えるこの世に生まれて来ては、違うタイプの人達と触れ合いの中で、葛藤をし、もがき、そして自身に新しい側面を付加する事が期待されている様なのです。それがこの世に生まれて来る意味、この世の存在意義、生まれ変わりの意義のようなのです。
また同時に、修業の場として存在するこの世がおかしな事にならぬよう、この世をよりよくメンテするためにも、我々は何度もこの世に生まれて来ているようです。
なので、この世を客観的に眺めて見たならば、全員神の子は神の子なんだけど、それを自覚してそれに相応しく生きようとしてるわずかな人々と、その事実に全く気付かずに、その事実にそぐわない生き方をしている大多数の人達が共存している世界、それがこの世界の真相と言えるかと思います。
で、全員、その内に神の性質を宿している神の一部ともいえる尊い存在なので、無碍に扱ってよい人間など一人もおらず、相手を傷つけたなら、その傷つけた側には反省が要求される訳です。それを転生の中、カルマとして解消する事が期待されている訳です。相手も神、神性、神と繋がった部分を内に宿しますから、他人を傷つけたなら、それに対し、詫びを入れないといけない訳です。おとしまえを付ける必要がある、と言う訳です。それがカルマの解消の意味のようなのです。その解消は、地獄でやってみたり、次の転生で逆の立場に立ち、同じ目にあう事で解消したりとか、まぁ色んな形でのカルマの解消の仕方があるようです。
なので言いたいことは、自分が他人になした事は必ず後で自分に降りかかってくるので、余り他人に対し極端な悪さはしない事です。で、間違って傷つけた場合には、できれば面と向かって、それが無理でも心の中では必ず詫びる事です。これは必ず相手に通じるようですし、カルマの解消の最適な方法のようなのです。なので、すぐに詫びる事、それが大事な対応法です。
逆に他人にナイスな事をすれば、そのナイスさが徳として、幸運として、人気として、必ず本人に返って来る事になる、と言えるかと思います。なので他人にはナイスにしまくるべきですね。
あと、本来我々は、霊的な存在なので、あまり肉体付随の快楽に引っ張られ過ぎないようにする事が大事です。人生に多少の潤いは要るけど、でも、快楽に依存し過ぎないようにしないといけません。引っ張られ過ぎないようにしない行けないのです。そこが間違いの元ですからね。そもそも精神面の強化がこの世に生まれて来る意味なので、欲望に振り回されると、この世に生まれて来る主旨にそもそも反する状況なのです。だから、快楽依存は御法度です。そこは外せないポイントなのです。欲望をコントロールする事が大事なのです。
なので、やさしさ、勇気、説得力、友達力などコミュ力、集中力、耐性=我慢強さ、神への信仰、相手の内の神性や仏性を信じる力、他、色々あるけど、そうした精神性の強化が大事です。
後は、清潔感とか、笑顔とか、褒める力とか、体力、知力、知識、そうしたテクニカルな部分も意外と重要なのです。
来世に向けて使える神の手足になれるよう、いろんな面を強化したいですね。
でも、まずは自分が神の一部、神の子である、と信じる事です。それが分かればもう貴殿は全てを既に持っており、既に満たされおり、既に幸福なはずなのです。
そして、周りの全ての人達も、皆、神の一部であり、彼らも例外なく神の子達なのです。それを信じ、彼らを心で祝福し、心で励ます事です。
もし仮に、自分が神の子として、それにそぐわない様な状況下に置かれていたとして、その場合は、多分、自身にそれを呼び込むような、まずい点があるはずです。そうした問題点が自身に無かったか、客観的に自己点検をし、あれば、それを見直して改善を繰り返して行く事です。それは、見た目かもしれないし(清潔感)、過去の言動かも知れないし、自己保身的な言い訳かも知れないし、色々あるでしょうけど、それがなんであれ、冷静に自己を客観視して、自分を神の子として相応しい感じの良い人に仕立て上げて行く事が大事なのです。そうした改善を繰り返し、重ねて行けば、必ず、神の子に相応しい状況が自身の周りに出現して来るはずです。
滑稽で、間抜けで、恥ずかしい、失敗だらけの人生が普通の人の人生です。でもそれこそが普通の神の子の人生なのです。決して、悪びれず、偉そうにもせず、卑下もせず、明るく謙虚に朗らかに生きて行く事が大事ですね。
では。
湖畔人
(2024.4.24改訂)