第174話. 気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)

2018-09-23 17:08:29 | 気になった映画
湖畔人です。

また死にまつわるお話で恐縮ですが、今回は、『COCO』(邦題:リメンバーミー)のご紹介です。またフライトで見た映画なのですが、またネタバレになるので、今後DVDやオンデマンドで観る予定がある方は読まない方が良いです。
前回の気になる映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』と同じく霊界とこの世の間を行ったり来たりして家族の問題を解決するお話です。
主人公ミゲルはメキシコの靴屋さん一族・リベラ家の出身、リベラ家は音楽を禁じている家系で、その理由は、先祖のひーひーお爺であるヘクターさんがミュージシャンで、音楽家としての出世を目指して家族を捨てて家を出て行ってしまい、残されたひーひーおばあさんであるママ・イメルダは残された家族を養う為に腹を決めて女手一人で靴屋を始め、猛烈に働いて、その結果一角の財を成し、それ以来、リベラ家は一族全員で靴屋を手伝っている一族な為、家族を置いて出て行ったひーひーお爺さんのヘクターの事を皆恨んでおり、同時にひーひーお爺さんが職業としていた音楽を一族全員に禁じ、嫌っていたのです。でも主人公のミゲルは実は音楽が大好きでミュージシャンになる事を夢見ています。何とか家族に認めてもらうために、先祖の死者の霊が家族に帰ってくると言われる“死者の日”に(日本でいうお盆)、街のイベントで音楽を披露し皆に音楽の才を認めて貰おうと企画しますが、そんな死者の日に、偶然、祭壇にあった大切なひーひーお婆さんの家族の遺影(ひーひーお爺さんの部分が破られており、ひーお婆さんであるココお婆さんと、この一族の主でミゲルのひーひーお婆さんであるママ・イメルダが写っている)を落としてしまい、写真が入ったフォトフレームを割ってしまいます。その時、中の写真が折り曲がっており見えない部分があった事を知り、その部分にはギターの写真が写っている事を知ります。その写真を見たひーお婆さんであるココお婆さんは少しボケ気味で普段は反応が薄いのですが、そのギターの写真には強く反応しており、それを見て、“パパ、パパ”と呟いたのです。ココお婆さんはパパが恋しいようです。ミゲルはその写真に写っているギターが憧れの伝説のミュージシャンであるエルメスト・デラクルスのギターと同じであることに気付き、エルメスト・デラクルスこそが自分のひーひーお爺さんなのでは無いか?と思い始めます。その場面で祭壇の部屋に入って来た厳格でミゲルを溺愛する祖母のエレナお婆さんと両親に遺影を割ったこと見つかり批判をされます。同時に、一族として、これからミゲルを靴職人として一人前にする事を宣言されます。ただ、音楽家になりたいミゲルは嬉しくありません。音楽家として認められたいミゲルは、屋根の上に上り、自分のひーひーお爺さんこそがエルメスト・デラクルスであり、自分もその血を引くものとしてミュージシャンになる!と声高に宣言しますが、エレナお婆さんや一族から大批判を受け隠し持っていた楽器など音楽に関連する様々なグッズを破壊されてしまいます。絶望したミゲルは我を失い家を飛び出し、エルメスト・デラクルスの霊廟に飾られているギターを盗んで街のコンテストに出ようとしますが、しかしギターを奪った途端、呪いに罹ったミゲルは霊的な存在となってしまい、霊人達からは見えるが、生きている人間からは見えない存在に成ってしまうのです。そんな中、死者の日ですので、続々と先祖達がこの世に降りて来ており、リベラ家の先祖一同も骸骨のような姿で家に向って歩いてきます。その途上、先祖達の霊はミゲルに気付き、ミゲルに声を掛け、一族の中心であるひーひーお婆ちゃんのママ・イメルダが訳あって死者の日なのに、この世に戻れない事を告げます。ミゲルとリベラ家の故人の一同は、死者の世界に戻り、ママ・イメルダを探しに役所に行くと、この世の子孫の家に遺影が飾られていない為ママ・イメルダだけがこの世に戻れないのだと役所の職員から告げられます。実は、ミゲルがママ・イメルダの家族写真の入ったフォトフレームを落として割って以来ミゲル自身がママ・イメルダの家族写真を持ち歩いていた為、リベラ家の祭壇にはママ・イメルダの写真が無かったのです。ママ・イメルダは、ミゲルに早く地上に帰って遺影を祭壇に戻すように言いますが、役所の職員によれば、先祖の霊が許しを与えないと、ミゲルに掛かった呪いが解けず、この世に戻る事が出来ないと言うので、ママ・イメルダはミゲルに許しを与えようしますが、ママ・イメルダは許しと同時にミゲルに音楽から離れる事を誓えと要求する為、それを嫌ったミゲルは、何とかひーひーお爺さんと思われるエルメスト・デラクルスに直接会って、彼に許してもらおうと逃げ出します。ミゲルの願いを知ったデラクルスの知人と嘯くヘクターと言う霊がミゲルをデラクルスに会わせる手伝いをするからその代わりに、自分の遺影を自分の子孫に渡してくれと言います。と言うのも、前述の通り、子孫の所に遺影が無いと死者の日にこの世に戻る事が許されず、子孫に遭わせてもらえないし、そもそも子孫に忘れられてしまうと、骸骨の姿をした霊達は第二の死を迎え光となって消えてしまうので、早く遺影をこの世の子孫に渡し、子孫に自分の事を思い出して貰いたいのだ、と言うのです。子孫にも会いたいし第二の死を迎えたくないヘクターはミゲルを助け、自分の思いを遂げようと、デラクルスにミゲルが会う手伝いをしようとします。まず音楽コンテストで優勝すればデラクルスのパーティーに出られると聞いたミゲルは、ヘクターの助けでギターを得、二人で協力してコンテストで優勝が狙える位の大好評を得ますが、リベラ家の一族がミゲルを探しに来たのが見えた為、コンテストの結果を待たずにミゲルはまた逃亡します。コンテストの優勝者が決まった後には、その優勝者達はデラクルスのパーティーに招待されている為、彼達に紛れてデラクルスのパーティー会場に何とか入り込み、勇気を出して歌を歌い注目を浴びて何とかデラクルスに合う事を実現します。自分の子孫だと言うミゲルをデラクルスは歓迎しますが、たまたま女装してパーティー会場に紛れ込んで来たヘクターとデラクルスの会話を聞いたミゲルは、実は、元々デラクルスとヘクターは嘗てコンビであり、一緒に成功を夢見ていたが、家族を置いてきた事を心苦しく思うヘクターは家に帰る事をデラクルスに告げると、作曲の才能を全てヘクターに依存していたデラクルスは困り果て、ヘクターを毒薬入りのお酒で殺害し彼の作曲ノートとギターを奪う事を思い付き実行し、その後、ヘクターの曲でヒットを重ねたデラクルスは国民的大歌手となり、一方毒薬を飲まされたヘクターは家族に会う帰路の途上で死を迎え、家族からは家族を捨てたダメ夫として恨まれ続け来た経緯を知る事になります。成功を手にするためには手段も選ばないのだと言うデラクルス、真実を知ったミゲルとヘクターがデラクルスの為した悪事を現世に戻って広める事が無いよう、ヘクターの写真を奪い、二人の洞窟に放り投げ行き場を失わさせます。ミゲルはあの世に来てから翌朝までに戻らないと本当に死者に成ってしまう為、このままだとミゲルはこの世に戻れず本当の死者になってしまうし、ミゲルがこの世にヘクターの遺影を持って戻れないとヘクターの子孫が高齢の為、ヘクターが第二の死を迎えるのは時間の問題です。このままでは本当に真相は闇の中、デラクルスの思う壺です。洞窟の中、ミゲルは、『リメンバーミー』と言う国民的な曲は実はヘクターが愛する娘ココ(ミゲルのひーお婆ちゃん)に向け毎晩歌って聴かせていた曲であったと知り、ヘクターこそが自分のひーひーお爺ちゃんであり、自分に流れる音楽を愛する血もヘクター譲りである事を知ります。洞窟に閉じ込められていた二人でしたが、祭壇のお供え物を食べミゲルと同じ呪いに掛かりミゲルと共にあの世に来ていた可愛がっていた野良犬ダンテより見いだされ、ママ・イメルダのペットで、アレブリヘスと呼ばれるあの世の導きの精霊でカラフルな羽の生えた巨大なジャガーの姿をした霊獣ペピータによって助け出されます。ミゲルはママ・イメルダに対しヘクターが家に帰ろうとしていた事、デラクルスに殺害され、作曲した音楽もギターも命も全て奪われた事を伝えヘクターは被害者であると伝えます。直ぐには許せないイメルダでしたが、第二の死を迎える寸前のヘクターに対し、ヘクターの遺影をベラクルスから取り戻す手伝いを一度だけすると告げ、ベラクルスから写真を奪い返そうと一族全員で奮闘します。その過程で、ペラクルスがカメラが回っていないと思い過去の悪事をブチマケ、成功を手にするためには手段は選ばないと言いミゲルを殺害しようとしますが、ミゲルは危機一髪ペピータに救われます。カメラで一部始終を見ていた観衆はデラクルスに激しいブーイングを浴びせ、ベラクルスはペピータにより場外にはじき飛ばされます。ベラクルスとの争いの過程でヘクターの写真を失い第二の死を迎える寸前のヘクターですが、時間制限ギリギリの朝が来る寸前でミゲルに許しを与え、ミゲルはこの世に戻る事が出来ます。家に戻ったミゲルは、厳格な祖母エレナが制止するのを振り切り、ギターを持ってココお婆ちゃんの所に行き、ココに、ココのパパであるヘクターがココをとっても愛していた事を告げ、そしてココの為に作られた歌、『リメンバーミー』をココの為に歌います。するとボケていて反応が無かったはずのココお婆ちゃんの指先が動き出し、ミゲルと一緒に歌を歌い始めたのです。普段は反応が無いココお婆ちゃんが、ミゲルの『リメンバーミー』を聴いて喜び反応する様を見て、ココの娘であるエレナお婆ちゃんもその様子に心から感動し、一族を守るため、これまで先祖から託されたルールを厳格に守って来たつもりであったが、その一方で、知らぬ間に大切な何かを見失って来たことに気付くのです。意識がはっきりしたココお婆ちゃんは、これまでしまい込んでいた破れた家族の遺影の一部、パパであるヘクターの写真と、これまでのヘクターの曲が記されている数々の手紙を皆に見せます。こうしてこの世においても、ヘクターこそがベラクルスの名曲の数々の本当の作者であり大音楽家であった事が皆に知られるようになり、ヘクターの名誉回復もされ、音楽を禁じていたリベラ家の戒も解かれ、大きな幸せが広がります。翌年の死者の日には、もう亡くなってあの世に帰っていたココお婆ちゃんとヘクターとイメルダの家族で仲良く子孫の家、リベラ家を訪れ、子孫と一緒に歌を歌い喜び合う、と言う素晴らしいお話でした。
映画の中では、ママ・イメルダとミゲルのやり取りがあり、嘗てはヘクターのギターに合わせ歌を歌う事が好きだったイメルダだったが、ココが産まれて、しっかりしなきゃと思うようになり、夢を追うヘクターに不安を感じていたし、ヘクター無き後、自分が強く成らねばと思いヘクターを憎むことで自分を保ち、働きに働いてきたと言うイメルダに対し、夢を否定すべきではないし、家族なんだから助け合う事が出来たはずだと言うミゲルとの間で見解の衝突が起きます。実際あれだけ才能があったヘクターですからあと少し待っていたら音楽で飯が食えたかもしれません。What ifの世界ですが、芸術を志す事、現実を見て諦め固い仕事をする事、その狭間の葛藤は普遍的なテーマですね。僕も今はサラリーマンですが、気質は芸術家で、どこかで諦めた過去があります。中々難しい問題ではあります。何が正解かは難しいですね。僕は今の選択が学びが大きかったと思っています。
この映画には、『DESTINY 鎌倉ものがたり』と共通点が幾つかありました。
一つ目は、前述の通り、この世とあの世をまたいだお話であり、
二つ目は、故人への誤解が、霊人の言葉を聞く事で初めて判明すると言うものです。やはり誤解をして、必要のない恨みを抱いているケースが多いのかもしれませんね。本当に気を付けないといけません。
三つ目は、人から虐げられた物への優しさがいざと言う時助けになると言う事です。リベラ家では禁じられた野良犬を可愛がっていたミゲルでしたが、その野良犬に後で救われています。『DESTINY 鎌倉ものがたり』の貧乏神と一緒ですね。色々と普遍的なテーマなのかもしれませんね。勉強になります。

それにしても、あの『リメンバーミー』と言う曲は名曲ですし泣かされます。マスクで顔を隠してばれないようにして観るのが大変でした。ヘクターが幼いココに『リメンバーミー』を歌うシーン、ミゲルがココに『リメンバーミー』を歌うシーン、両方とも涙腺崩壊です。
日本語版の最後に掛かるシシド・カフカさんとスカパラのバージョンもいい感じだと思います。

また、気になったのがヘクターの顔です。ああいう顔の人、結構日本にもいますよね。博多大吉さんとウルフル・ケイスケさんを足して2で割った感じでしょうか。結構見た事がある顔です。

湖畔人

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