湖畔人です。
昨今、少年法の改正が話題に成っていますが、少年法に拘わらず、精神鑑定により減罰に成ったりする法曹界の基本姿勢に非常に疑問を感じるものです。常に主眼が、加害者の更生と保護に行きがちなのですが、加害者に被害を受けた被害者の事や被害者の遺族への配慮が二の次に成っている点、そして、十分な反省を経ずに再犯を繰り返す犯罪者が簡単に社会復帰でき一般人が危険に晒され続けている現状に深い疑問を感じざるを得ないのです。弁護士も検察も裁判所も、一体何を守ろうとしているのか甚だ疑問です。
私は法律の専門家ではないので、あくまで一般人としての視点と肌感覚からしか語れませんが、元々社会に法律が生まれた由来は、ユダヤ・キリスト教社会においては、モーセの十戒のように神により与えられた神との契約を基礎として段々と形成されて来たものでしょうし、それ以外の世界であっても、一般的に、基本、人々が社会生活を安心安全に暮らしていけるように、人々を詐欺や窃盗や暴行や殺人などから守るために設けられたルールであって、そのルールを犯す者を罰し、隔離し、一般人が安心して暮らせるようにする為のものであり、また、罰則を設ける事で、悪人が悪行をせんとする事を思い止めさせるための抑止効果をも期待して出来たものだと思われます。それが元々の法律の発生由来、理由であったと思うのですが、いつの間にか、一般人を犯罪から守る事より、罪を犯した加害者側の人権を守る事にばかりに法曹界の意識が行き過ぎているように感じるのは私だけでしょうか?
犯罪を犯したなら、その罪を償うしかありません。
物を盗んだり詐欺をし、人の資産を奪ったのなら、被害損害分+復旧にかかる費用を刑務所内で働いて返すのが筋でしょう。時間がかかると言うなら、法曹界は彼らを守りたいのでしょうから、であれば法曹界が肩代わりでもしてあげるべきです。
性犯罪や薬物など再発の可能性が高いものに関しては仮釈放後も監視を強め再犯した場合は相当長期の服役を課すべきです。
人を殺めたのなら、それが正当防衛か、過失でもない限り、基本社会復帰はあってはならず、ひたすら刑務所で犠牲者への慰霊と遺族への謝罪と経済的支援(返済)をし続けるべきです。それが少年時の犯行であろうが、精神状態が異常であったどうかとか関係なく、失われた命は帰って来ず、亡くなった方にはもう守るべき人権すらないのですから、遺族の気持ちも忖度せず、加害者の人権保護ばかり言うのはアンフェアです。犯罪が発生した際に、まず守るべきは被害者で、次は被害者の御家族です。殺人の場合、被害者が生きていた場合に遺族が本来受けていたであろう想定収入を、加害者は刑務所内で働いて補填すべきです。仮に加害者が少年であっても、犯した罪に変わりはありませんし、精神が異常だったかどうかでも罪には変わりはありません。基本、失った命はもう戻って来ないからです。精神状態が異常だったと言う事で減罰になるケースも多々ございますが、でも殺人は正当防衛(戦争を含む)でもない限り全て異常な精神状態下での犯行です。殺人をしておいて、もし精神状態が正常だったと言うなら、それこそ異常な判断です。殺人は皆異常な精神状態でないと出来るはずもない狂気の沙汰なのです。加害者の精神状態が異常であろうがなかろうが、少年であろうがなかろうが、失われた命が戻ることは無く、遺族の悲しみは癒える事はないのですから、それらの理由で減罰などあってはならないのです。気を使うべきは加害者ではなく遺族の方であるべきです。よって、殺人においては、最低でも無期懲役が妥当で、一生ひたすら刑務所において犠牲者への慰霊と遺族への謝罪と経済的支援(返済)をし続けるべきです。少年であっても、殺人の場合は成人と同じ扱いにすべきです。これまで社会に衝撃を与えた惨たらしい殺人事件の幾つかのケースでも、本来であれば死刑が妥当なケースであっても加害者が少年だとの理由で減罰となり、すでに社会復帰しているケースが多々あります。例えば80年代後半にあった足立区のコンクリート事件も、神戸の連続殺傷事件も、加害者は既に社会復帰していますが、神戸のケースは、出所後、自分の本を出版したり、HPを立上げたり、メルマガを立上げたり、自己肯定の為にメディアを利用しているようにしか見えず、反省の気配を全く感じません。最近では、取材した週刊誌記者を恫喝までしたようです。足立のケースでも出所後再犯した者もいるようですし、飲み屋で事件を自慢する輩すらいるようです。と言う事は、彼らには反省は無く、裁判所は再犯の可能性が高い危険な輩を社会に放ち一般人を危険に晒し続けている、と言う事になります。仮に彼らに再犯の意思が無いにしろ、彼らの犯した罪の重さ、彼らによって無残にこの世を去った方々の命は戻らないと言うその事実、その二点だけで、彼らが今一般人と同じ生活が送れてしまっている事実は到底受け入れられないし、とても許される状況ではない、と言えると思います。罪人守って、遺族と一般人を危険に更し、遺族と一般人に不満と不安を強いる法曹界は一体何なのでしょう。一体、裁判所や弁護士たちは、何を守ろうとしているのでしょう?本当に不思議です。少年法など直ぐに止めるべきです。少なくとも殺人のケースは成人と同じ扱にすべきです。
私は転生輪廻を信じる者ですから、加害者は、普通の生活は来世以降の楽しみとすべきと考える者です。今世はしっかりと反省と償いに時間を使い、カルマを持ちこさないようにすべきと考えます。
本日は、少年法を中心に犯罪とその罰則について考えてみました。
湖畔人
(2017年2月21日改訂)
昨今、少年法の改正が話題に成っていますが、少年法に拘わらず、精神鑑定により減罰に成ったりする法曹界の基本姿勢に非常に疑問を感じるものです。常に主眼が、加害者の更生と保護に行きがちなのですが、加害者に被害を受けた被害者の事や被害者の遺族への配慮が二の次に成っている点、そして、十分な反省を経ずに再犯を繰り返す犯罪者が簡単に社会復帰でき一般人が危険に晒され続けている現状に深い疑問を感じざるを得ないのです。弁護士も検察も裁判所も、一体何を守ろうとしているのか甚だ疑問です。
私は法律の専門家ではないので、あくまで一般人としての視点と肌感覚からしか語れませんが、元々社会に法律が生まれた由来は、ユダヤ・キリスト教社会においては、モーセの十戒のように神により与えられた神との契約を基礎として段々と形成されて来たものでしょうし、それ以外の世界であっても、一般的に、基本、人々が社会生活を安心安全に暮らしていけるように、人々を詐欺や窃盗や暴行や殺人などから守るために設けられたルールであって、そのルールを犯す者を罰し、隔離し、一般人が安心して暮らせるようにする為のものであり、また、罰則を設ける事で、悪人が悪行をせんとする事を思い止めさせるための抑止効果をも期待して出来たものだと思われます。それが元々の法律の発生由来、理由であったと思うのですが、いつの間にか、一般人を犯罪から守る事より、罪を犯した加害者側の人権を守る事にばかりに法曹界の意識が行き過ぎているように感じるのは私だけでしょうか?
犯罪を犯したなら、その罪を償うしかありません。
物を盗んだり詐欺をし、人の資産を奪ったのなら、被害損害分+復旧にかかる費用を刑務所内で働いて返すのが筋でしょう。時間がかかると言うなら、法曹界は彼らを守りたいのでしょうから、であれば法曹界が肩代わりでもしてあげるべきです。
性犯罪や薬物など再発の可能性が高いものに関しては仮釈放後も監視を強め再犯した場合は相当長期の服役を課すべきです。
人を殺めたのなら、それが正当防衛か、過失でもない限り、基本社会復帰はあってはならず、ひたすら刑務所で犠牲者への慰霊と遺族への謝罪と経済的支援(返済)をし続けるべきです。それが少年時の犯行であろうが、精神状態が異常であったどうかとか関係なく、失われた命は帰って来ず、亡くなった方にはもう守るべき人権すらないのですから、遺族の気持ちも忖度せず、加害者の人権保護ばかり言うのはアンフェアです。犯罪が発生した際に、まず守るべきは被害者で、次は被害者の御家族です。殺人の場合、被害者が生きていた場合に遺族が本来受けていたであろう想定収入を、加害者は刑務所内で働いて補填すべきです。仮に加害者が少年であっても、犯した罪に変わりはありませんし、精神が異常だったかどうかでも罪には変わりはありません。基本、失った命はもう戻って来ないからです。精神状態が異常だったと言う事で減罰になるケースも多々ございますが、でも殺人は正当防衛(戦争を含む)でもない限り全て異常な精神状態下での犯行です。殺人をしておいて、もし精神状態が正常だったと言うなら、それこそ異常な判断です。殺人は皆異常な精神状態でないと出来るはずもない狂気の沙汰なのです。加害者の精神状態が異常であろうがなかろうが、少年であろうがなかろうが、失われた命が戻ることは無く、遺族の悲しみは癒える事はないのですから、それらの理由で減罰などあってはならないのです。気を使うべきは加害者ではなく遺族の方であるべきです。よって、殺人においては、最低でも無期懲役が妥当で、一生ひたすら刑務所において犠牲者への慰霊と遺族への謝罪と経済的支援(返済)をし続けるべきです。少年であっても、殺人の場合は成人と同じ扱いにすべきです。これまで社会に衝撃を与えた惨たらしい殺人事件の幾つかのケースでも、本来であれば死刑が妥当なケースであっても加害者が少年だとの理由で減罰となり、すでに社会復帰しているケースが多々あります。例えば80年代後半にあった足立区のコンクリート事件も、神戸の連続殺傷事件も、加害者は既に社会復帰していますが、神戸のケースは、出所後、自分の本を出版したり、HPを立上げたり、メルマガを立上げたり、自己肯定の為にメディアを利用しているようにしか見えず、反省の気配を全く感じません。最近では、取材した週刊誌記者を恫喝までしたようです。足立のケースでも出所後再犯した者もいるようですし、飲み屋で事件を自慢する輩すらいるようです。と言う事は、彼らには反省は無く、裁判所は再犯の可能性が高い危険な輩を社会に放ち一般人を危険に晒し続けている、と言う事になります。仮に彼らに再犯の意思が無いにしろ、彼らの犯した罪の重さ、彼らによって無残にこの世を去った方々の命は戻らないと言うその事実、その二点だけで、彼らが今一般人と同じ生活が送れてしまっている事実は到底受け入れられないし、とても許される状況ではない、と言えると思います。罪人守って、遺族と一般人を危険に更し、遺族と一般人に不満と不安を強いる法曹界は一体何なのでしょう。一体、裁判所や弁護士たちは、何を守ろうとしているのでしょう?本当に不思議です。少年法など直ぐに止めるべきです。少なくとも殺人のケースは成人と同じ扱にすべきです。
私は転生輪廻を信じる者ですから、加害者は、普通の生活は来世以降の楽しみとすべきと考える者です。今世はしっかりと反省と償いに時間を使い、カルマを持ちこさないようにすべきと考えます。
本日は、少年法を中心に犯罪とその罰則について考えてみました。
湖畔人
(2017年2月21日改訂)