第50話. そもそもの動機① 共産主義について

2017-08-27 17:45:08 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

自分への再確認も含めて、そもそもこのブログで言わんとしている事、やらんとしている事を確認しようとしているのですが、それは、第4話、第5話、第37話、第42話でご説明致しました通り、様々な宗教や哲学の最大公約数的な真理として、どうも我々人類は霊的な存在であり、神仏の子達であり、転生輪廻の中、様々な経験をこの物質世界で経験し、霊性の獲得を目指しているようだ、という認識がまず前提としてあり、その上で、それらの考えを再認識しつつ、それらの世界観をベースにして、この世界を見直した時に見えて来る、個人としてのあるべき姿や、この社会、世界のあるべき姿とは何なのかを考える契機にしたい、そして、今後到来する、霊性をベースにした新世界のあるべき姿はどう言った世界なのか、イメージを共有する一助になりたい、とそう思ってやっています。

そこで、なぜ、わざわざ我々は、霊的にはブラインド、盲目状態、無明状態になるこの物質世界に、わざわざリスクを負って何度も生まれ変わってくるのか、と言えば、どうも、私の崇敬する宗教家、毎年ベストセラーを連発する新宗教の宗教指導者のご説明によれば、どうも、霊的世界は波長同通の法則により、自らに似た同じようなタイプの波長を持つ、気の合う者達が集う場となっているようで、居心地は良いが成長が望めないようなのです。

ですので、あえて、肉体の鎧をかぶり、霊的には盲目となり、霊界では合う筈もないような人達が一同に会するこの世界で、考えの違いから葛藤も多いが、様々な他の視点も学べ、人としての器が成長する良い機会となる、そう言う目的がある様です。霊的な能力を制限した状態で霊的に重要な事柄を学んだ方が、水泳で筋力を鍛えるように、負荷が大きく不自由な異世界である水中で筋力を動かし筋力を増加させるが如く、この霊的に不自由なこの物質世界で霊的認識力を獲得した方が学びが大きいようなのです。

いずれにせよ、我々の目的は、より神近き存在を目指して生まれて来るようですので、神を目指して、
課題①. 霊界を含めた神の世界観を学ぶ必要があるし(正しき宗教等の提示する世界観他により)、
課題②. 神の願いを学び実現する必要があるし(多くの宗教や哲学の最大公約数的な普遍性を持つ教えの中から)、
課題③. 全ての人間が同じく神の子であり、同じ神と言う名の巨木の葉の一枚同士、皆兄弟であるが故に、共に愛し合い、信じ合い、睦合うべき存在である、という見方で、人々への見方と世界の在り方を見直すべきであるし、
課題④. 全ての人間は、神の子として、神近き存在を目指して何度も生まれ変わり、人生経験を積んでいる存在である、と言う視点から、あるべき世界の在り方を見直すべきだと思います。また、輪廻の中、時に男、時に女として生まれ、時に日本、時に海外に生まれる事実からも、あらゆる差別はナンセンスと知るべきで、そうした見方で世界を見直す必要がある、と思っています。

以上のように、人がそうした霊的存在であれば、個人としても社会としてもあるべき姿が見えて来ます。究極の神とも言える存在がどういった状態を望むか見えて来るはずです。それが何か少しづつ考え足し、書き足して行きたいと思っています。

まずは、今日は、共産主義について、それらの視点から見てどうか、今日は軽く考えて見たいと思います。

課題②の神の願いとしても、
課題③の人類が神の子であると言う視点からも、
課題④の全ての人間が、神の子として、神近き存在を目指して何度も生まれ変わり人生経験を積んでいる存在であり、霊性の獲得を目指す存在、と言う視点からも、共産主義はNGです。

そもそも、唯物論をベースにし、神を否定し、霊的視点を否定した中共など現存する共産党がとるスタンスは神仏の視点から見てNGです。そのような思想があるから、簡単に共産主義に相容れない自国民を数千万も簡単に殺められるのです。全ての人間が神性を内に宿していると言う人権、神子権の考えがあるなら、戦争(正当防衛)でもない限り、簡単に人は殺めて良い事になるはずもありません。それと、神と霊人達が全ての人の心も行いも見ており、神仏から見て恥ずかしくない心持ちで生きるべきという視点が無いから、汚職も虚偽報告も消えないのです。神仏の肯定は全ての礎です。その点で共産主義はNGです。

それと、共産主義が結果平等を求める点も、NGです。
人類が期待されている、神に近づく権利、努力して道を開き神に近き存在に成って行く権利を閉ざす事はNGなのです。頑張る人も頑張らない人も結果が一緒は駄目です。求めるべきは機会の平等です。逆に機会の平等を邪魔立てする考えや規制はNGです。今の日本にも現存する根深い問題ですね。日本は国の管理と規制が多く殆ど社会主義国家です。御上である官僚が全てを取り決め取り仕切り、愚かな下々の国民はただそれに従って言う事を聞いてさえすればよい的な、エリート思想がきっとまだ根強いのでしょう。でも、それは神性、仏性の抑制、機会損失になりますので問題です。規制を取り除き神性、仏性の発現を開放してあげる必要がありますね。

共産主義も社会主義も、嘗てイギリスが試みた”揺り籠から墓場まで”という手厚い社会保障制度を目指しますが、一部の障害を持つ方々を除き、殆どの人は自力で自分の老後の面倒を見る形を目指すべきです。嘗てはイギリスもそうした手厚い社会保障路線を目指しましたが、結局、財政支出が多くなり過ぎて、財政的に立ち行かなくなりました。今の日本もそうです。年金制度も破綻しているし、保険制度も無理があり過ぎ、国の借金の主原因がこの社会保障です。年金制度も保険制度も破綻している事を素直に認め、どこかでリセットを掛けるべきです。国民はそれほど愚かではありません。年金は無理です、と詫びれば、理解してくれる筈です。政府は勇気を出して本音を語るべきです。上記のように、こうした手厚い社会保障は財政的に破たんする定めなのですから。

また、こうした手厚い社会保障や教育の無償化等、大きな政府が何でも国民の面倒を見る姿勢は、これは霊的に見ても問題なのです。何でも政府が生活や未来を保証して人を安心させてやりたい気持ちもわかりますが、この世に於いて、各個人は自らの裁量により、より神近き立派な人間に成長したいのです。そして自信を付けたいのです。
よく考え賢い人にも成りたいし、自分の人生を自分で決められる大人にも成りたいし、しっかり仕事を持ち社会に貢献し金を稼ぎ家族を養う一人前の社会人にも成りたいし、知恵を絞り創造性を発揮し新しい製品やサービスも生み出したいし、様々な場面で決断できる人にも成りたいし、勇気を発揮する人間にも成りたいし、人の心の様々な機微に触れ広い視点も得たいのです。それは、社会が用意した決められたレールの上よりも、様々な不安定な状況下の方がそうした成長する機会が増えるのです。自ら積極性を発揮し自立した主体性のある人間が数多く現れる事は、神近き人間が増える事にも成り、神の望む道でもあります。過保護な政府は、そうした成長の機会を奪っているのです。

そして何より、不確定な世界の方が、信じる力、神と繋がる力が鍛えられ深まるのです。大した努力をしなくとも、お金にも食べ物にも困らない過保護な世界は、人を怠惰にし傲慢にし不信仰にしてしまうのです。不安定な世界の中でこそ、神を信じる信仰の力で神と一体化し、神との繋がりから力を得、その結果多くの成功を収め、神と繋がる事で真なる自信を得られるのです。その信仰から来る自信の獲得こそが、この世に生まれて来た大きな目的の一つなのです。

政府が社会保障をやり過ぎると、その信仰を深め成長する機会を奪う事になるのです。

障害者や病人他、社会的弱者の為のセーフティネットは必ず要りますが、大多数には、“君は神の子だ。君なら必ず出来る。よく考え、よく準備し、勇気を持ってチャレンジせよ。頑張れ!そして成功を勝ち取り、良き人生だったと言えるよう頑張れ。1度や2度の失敗で諦めるな、何度でも立ち上がり頑張りなさい。”と言える社会が良い社会なのです。

国が何でも面倒を見る国は、一見良さそうで、この世に生を受ける主旨に反しているのです。だから共産主義も社会主義も、人がこの世に生まれて来る本来の趣旨に合致しないのです。ですから、神がトランプと習近平及び金正恩のどっちを応援するかと言えば、当然、トランプを応援するに決まっているのです。

ですから、必ずトランプ側が勝利する筈なのです。いや、そうなってもらわないと困るのです。
中朝が覇権を握る世界がもし出現したなら、神はその世界の存続を認めず、必ずリセットボタンを押すと思われます。そうなると、多くの人類が死滅するような地球規模の壊滅的な天変地異に見舞われる筈です。
折角、ここまで仕上がった文明を全て失い一からやり直すのは何とも無駄な状況です。そうした事態を防ぐ為にも、何としても唯物論と共産主義を勝たせてはいけないのです。
まずは北が問題ですね。早めにケリが付くことを心よりお祈りいたします。

湖畔人

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