第153話. パンクとポストパンクを振り返る

2018-08-05 17:00:32 | 文化論
湖畔人です。

第146話の岡村孝子さんの所でも触れましたが、ホンの僅かな間ではありましたが、一時傾倒したパンクと言う、主にイギリスで流行したムーブメントについて語ってみたいと思います。一般的なイメージで言うと、パンクと言えば、破壊的でやかましくて、モヒカンのヘアーに鋲打ち革ジャンを来て、反体制、反権威主義、DIY主義、アナーキスト、暴力的、左翼的(右翼もいたけど)、そんな感じのイメージでしょうか。有名どころでは、ピストルズとかクラッシュとかThe Jamとか色々いましたが、ピストルズはニヒリスト、アンチクライスト、アナーキスト何て言うパンクの仕掛人、マルコムマクラーレンが作った酷いイメージで売っていたので(後日あれは作られたものと判りましたが)、純朴な若かりし自分にはとても受け入れられず、当時は若干政治的で若干正義感を感じさせ、タフそうで人の良さそうで且つ若干懐古主義的なロカビリー的な格好をしていたクラッシュに興味を持っていました。彼らは思想と言う思想があるかと言えば、若干社会主義的、左翼的であり、失業や人種差別や警察の腐敗、マイノリティの貧困問題など、当時の深刻なUKの社会事情、社会の底辺部の抱える鬱積や不満を荒々しいガシャガシャした音に換えて歌ってウサを晴らす的な役割を果たしていたイメージのバンドです。コンサートなど見ると殆ど暴動のような激しいものもあったようですね。彼らも社会主義や共産主義が抱える矛盾など、多分知る由もなく、金持ちや資本主義が皆悪党に見えていたのでしょう。ある程度は理解できますが、分配よりも自立補助、“魚を与えるより、釣り方を教えよ”という格言の通り、皆が独り立ちできる方向での助けこそが必要です。社会悪に声を上げるのは良いとしても、貧困への回答は何時の時代だってサミュエルスマイルズの自助努力の姿勢が正解であって、社会変革を迫るならチャンスの平等と規制の撤廃をこそ求めるべきであり、社会が間違っている、ブッ壊せ、等言ってないで、そんな暇があるなら四の五の言わず、文句言わずに勉強しろ!、学んで力を付けてしっかり稼げよ、そして社会に貢献、還元せよ、その力で貧者の自立をサポートせよ、と、何故そう歌わんのか!って言う所に行きつきまして、まあ飽きてしまったのですが、でもこのクラッシュの中心人物のジョー・ストラマーと言う人はそれでも何か捨てがたい魅力を感じる人でして、何か、浪花節的な感じ、いつでも弱い者の味方であって、サインが欲しい人がいればいつまででもサインをし続けるし、ギャラも直ぐに寄付してしまうのでいつも貧乏で、チケットが高くてコンサートに行けないと子供が嘆いているのを聞けば “ゴメンゴメン”と言って泣いて詫びてしまうとか、あの厳ついルックスとは真逆の優しさに満ちた男、そうした優しい逸話が沢山残っている御仁なのです。その優しさが多分彼の最大の魅力であり、引き付けられる点なのかな、と思っています。ただ、まあ、チャーチルでは無いですが、“若い頃、左翼に傾倒しない者は情熱が足りないが、大人になっても左翼に傾倒している者は知恵が足りない”と言う言葉の通りでして、大人になったら左翼は卒業して、皆が独り立ち出来るように支援する方向での努力こそが本当の優しさと思わないといけない訳です。それと何より、神と共にあれ!、そこを外してはイカン!という事になるかと思います。そこだけはパンクだろうが何だろうが外してはならないポイントであって、その辺りにどうも不足を感じた記憶がございますね。ただ、パンク的な精神でも、勿論良いものもあると思っていまして、パンク的な精神で良いと思うものは、動き出す精神、行動の勧め、準備が十分に出来てから動き始めるのもいいけど、もう心意気で直ぐに始める勇気と行動力、下手でもいいので兎に角やり始める精神、その姿勢は多分とてもパンク的でして、今後も残して行きたい良い姿勢だと思いますね。それと、社会悪に対し黙っておらず声を上げる精神、それもとてもパンク的な良い姿勢だと思います。相手が巨大な社会的オーソリティーであろうが何だろうが正面から戦いを挑み変革を促す精神、それはとてもパンク的だと思います。その意味で幕末の志士達、特に薩長土の志士達は極めてパンク的だと思っています。そこは引き継いで良い部分だと思いますね。
さて、そのインパクトの強いパンクと言うムーブメントの後に現れた様々な音楽的流れは、総称して“ポストパンク”と呼ばれていますが、対象はかなり幅白く、色んなジャンルを含んでいます。ニューウェーブ的なものも、テクノの一部も入っておりかなり幅が広いのですが、私の言うポストパンクは、日本ではネオアコ(ネオ・アコースティックムーブメントの略)と呼ばれたジャンルでして、海外ではギターポップとかインディーポップ等と呼ばれた一連のムーブメントを私は大好きでして、相当傾倒していました。彼らの特徴は、皆エピフォンカジノやギブソンのES-355など大きく平べったくクラシカルなルックスのセミアコのギターを持って(ジョンレノンが屋上ライブで持っていたようなタイプ)、清涼感のある爽やかでPOPな、またはジャジーなギターサウンドに青臭い詩を載せて歌う、でも根底にはパンク的な反骨精神が横たわっている的なバンドが多数現れたのですが、私は彼らに相当ハマってしまっていたのですが、彼らはトラッドな懐古主義的な頭良さげで好青年風なルックスをしているのですが、よく見るとサイドがモヒカンのように刈りあがっていて、パンク的な反骨精神が彼等の外見にもチラッと現われており、少し毒もある、今流行りのツーブロックの髪型を先行していた、そんな見た目にも音楽的にも大変魅力的な存在だった彼らなのですが、代表的なバンドとしては、アズテック・カメラ、プリファブ・スプラウト、エコーアンドザバニーメン、ペイル・ファウンテンズ、エヴリシング・バット・ザ・ガール、ザ・ブルーベルズ、ザ・スミス、そして元The Jamのポールウェラー率いるスタイル・カウンシル等、色々と良いバンドが沢山存在していた幸福な時代でした。今後、少しずつ紹介させて頂こうと思っています。でも、いきなり、“透明感”括りで数曲紹介させてもらうかもしれません。8月ですから、段々報道も先の大戦への反省みたいなのばかりに成っていくと思うので、その流れに対して、思う所を少し述べたいと思っています。

湖畔人

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