昨日、阪神淡路大震災から30年が経った。
私は神戸市の隣に住んでいて、ライフラインも違ったため電気、ガス、水道の復旧が早く、被害が直撃した地域よりはかなりマシな環境にいた。
それでも何もなかったわけではない。
当時、旅行会社を経営していた父は、電車が長い間動かなかったため、真冬に実家から神戸までスクーターで1時間以上かけて通い、社員を食べさせるために必死でプランを組んで客を集め、なんとか会社を回していた。でもその影響で父は疲れ切っており、家の中はギスギス。
大学3年生だった私は私で、おそらく今思うと軽くうつ状態に入っていて、何のやる気もなく毎日を過ごしていた。現実を見られなかったんだと思う。スーパーでは買い占めが始まっており、バイト先のスーパーもご多分にもれず忙しそうだった。だけどシフトにも入らず、文字通り眠っていた。
大学後期の必須科目の論文をなんとか仕上げたこと。就職活動をほとんどしなかったこと(結果ブラック企業で就職した)。西宮を超したら大阪には何の影響もなくて、神戸にも関心がなくて良くも悪くも驚いたこと。奥田民生の「愛のために」がヒットしてて、そんな呑気な歌うたうなや!と心の中で八つ当たりをしたこと。覚えているのはそれぐらい。あとは正直なところ考えたくも、思い出したくもない。家が倒壊した人、家族を失った人、日常生活を送れなくなった人。いろんな人の怒り、苦しみ、悲しみに間近で触れて、それらが辛くて正視できなかった。
今もそれは変わっていない。日本では各地で自然災害の被害が出ている。オーストラリアでも水害と山火事が定期的に起こる。気の毒に思うだけで正視できない。
30年経って、神戸の震災はもう過去と言えるんだと思う。実際神戸の街は美しく建て直された。悲しくても前に進まなくてはいけないのは事実なので、そういう方向でいいと思う。ただ被害の末端にいた私でもいまだにこんな気持ちでいる。だから30年ということを大々的に前に出して、被害のど真ん中にいた人たちの気持ちを無かったことにしなければいいなと思う。所詮30年なんていうのは数字でしかないから。
ちなみに、当時京都で大学生をしていた兄は休学して留学中だった。何も知らずに授業を受けていると先生に呼び出され、地震のことを告げられたらしい。テレビで三宮センター街がグチャグチャになっているのを見てショックを受けたとあとになって話していた。そりゃそうやろう。私ならパニックを起こしていたに違いない。先にも書いたようにライフラインが神戸とは違ったためか電話も早くからつながり、すぐに我が家の安全が確認できたはず。でもそれもあんまり覚えてないや。
この先も災害は起きる。対策をきっちりしとかないと…と思いつつ何もしていない。安全ボケやな。ちゃんとしよ。
今日も普通にやってくる日常に感謝。
私は神戸市の隣に住んでいて、ライフラインも違ったため電気、ガス、水道の復旧が早く、被害が直撃した地域よりはかなりマシな環境にいた。
それでも何もなかったわけではない。
当時、旅行会社を経営していた父は、電車が長い間動かなかったため、真冬に実家から神戸までスクーターで1時間以上かけて通い、社員を食べさせるために必死でプランを組んで客を集め、なんとか会社を回していた。でもその影響で父は疲れ切っており、家の中はギスギス。
大学3年生だった私は私で、おそらく今思うと軽くうつ状態に入っていて、何のやる気もなく毎日を過ごしていた。現実を見られなかったんだと思う。スーパーでは買い占めが始まっており、バイト先のスーパーもご多分にもれず忙しそうだった。だけどシフトにも入らず、文字通り眠っていた。
大学後期の必須科目の論文をなんとか仕上げたこと。就職活動をほとんどしなかったこと(結果ブラック企業で就職した)。西宮を超したら大阪には何の影響もなくて、神戸にも関心がなくて良くも悪くも驚いたこと。奥田民生の「愛のために」がヒットしてて、そんな呑気な歌うたうなや!と心の中で八つ当たりをしたこと。覚えているのはそれぐらい。あとは正直なところ考えたくも、思い出したくもない。家が倒壊した人、家族を失った人、日常生活を送れなくなった人。いろんな人の怒り、苦しみ、悲しみに間近で触れて、それらが辛くて正視できなかった。
今もそれは変わっていない。日本では各地で自然災害の被害が出ている。オーストラリアでも水害と山火事が定期的に起こる。気の毒に思うだけで正視できない。
30年経って、神戸の震災はもう過去と言えるんだと思う。実際神戸の街は美しく建て直された。悲しくても前に進まなくてはいけないのは事実なので、そういう方向でいいと思う。ただ被害の末端にいた私でもいまだにこんな気持ちでいる。だから30年ということを大々的に前に出して、被害のど真ん中にいた人たちの気持ちを無かったことにしなければいいなと思う。所詮30年なんていうのは数字でしかないから。
ちなみに、当時京都で大学生をしていた兄は休学して留学中だった。何も知らずに授業を受けていると先生に呼び出され、地震のことを告げられたらしい。テレビで三宮センター街がグチャグチャになっているのを見てショックを受けたとあとになって話していた。そりゃそうやろう。私ならパニックを起こしていたに違いない。先にも書いたようにライフラインが神戸とは違ったためか電話も早くからつながり、すぐに我が家の安全が確認できたはず。でもそれもあんまり覚えてないや。
この先も災害は起きる。対策をきっちりしとかないと…と思いつつ何もしていない。安全ボケやな。ちゃんとしよ。
今日も普通にやってくる日常に感謝。
だからって怯えて暮らすのも違うし
日常が当たり前ではないと思って暮らすだけでも
心構えになるような気がします
事故、災害が起きても当事者でなければ
本当の辛さは理解できませんし
その辛さが時間が経てば消えることもないですよね
今まであった事故、災害の経過を理解して
自分、家族、周囲の人達をそここらどうやって守るかを
学びたいと思います。
震災にしても病気にしても、経験した人にしかわからないことがたくさんありますね。手遅れにならないうちに…と頭でわかっていてもなかなか学べない。
この怠惰を後悔しないよう、頑張って行動に移します…。