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東日本大震災・・15・・お墓にひなんします

2011年07月09日 23時17分00秒 | 地震
福島県南相馬市の93歳の女性が、「私はお墓にひなんします ごめんなさい」との、遺書を残し
命を絶った。

大震災が起こる前は、長男夫婦と孫2人の5人で暮らし、足が弱って手押し車を押していたが、
家事は自分でやっていたという。

東電福島第1原発の2度の爆発により、近隣住民が避難をはじめ、一家も近くの次女宅に避難。
次の日には、もっと遠いところとなって群馬県の片品村(尾瀬の玄関口)に避難したが、おばあちゃんだけは
次女宅に残った。
娘さんの家とはいえ、慣れないところで気を使ったことは十分察しがつきます。
体調を崩して2週間の入院、退院後も「家に帰りたい」と言い続けたという。

その後5/3に帰宅したが、度々長男に「早く帰ってこおー」と電話で話していたそうです。
約1か月後に、長男夫婦たちも帰宅するが、その1か月間で今度何かがあった際には「足手まといになる」と
思ったのだろうか??
その半月後、6/22日に首をつって命を絶った・・・。
こんな遺書を残して・・・・。(4通の遺書の内、公開された家族あて・・)

◇女性が家族に宛てた遺書の全文

(原文のまま。人名は伏せています)

 このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい


93歳といえば、ご長寿を皆さんに喜んでもらえる年齢なのに・・
周りの人たちに人一倍気を遣い、この先を悲観していた。
また原発に翻弄された人が亡くなった・・・・。


取材の最後、長男夫婦が記者に言ったそうです。
「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、しっかりと伝えてください」 と・・・。


コメント
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