餃子の街・宇都宮  ある菓子店のひとり言・・・

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矢板市郷土資料館

2013年01月26日 22時21分17秒 | 写真
下野新聞(栃木の地方紙)に、3クラブの合同写真展の事が紹介されていたので
終わらない内にと先日行って来ました。(写真展は後日・・)

実家のすぐ近くに、旧上伊佐野小学校があって、生徒数の減少で廃校になり
そこが現在は「矢板市郷土資料館」として利用されていた。



                

この類の物は、見るのが初めてだった。
私たちが子供の頃に普通に見えてた 物が、安い物、便利なものの陰で、
今は全く見えなくなってしまったが
そんな道具類、家具類、農作業で使われてたもの、城跡からの出土品など
ホントに丸ごと郷土の資料館の役目をしていました。

泉村立尋常高等小学校 明治15年以降と記されていました
私の母校で、現・矢板市立泉小学校です。
小学校玄関前が、今は文房具屋さんですがこんなに雑草だったとは・・・。


              湯たんぽが普及する前の冬の暖房でした!
               

「行李(こうり)」ですね。嫁入り道具の一つだった様です。


              長持ちです。子供の頃のイメージですと
              もっともっと大きく感じていました。
               

「めんこ」(この辺では「パー」)と、羽子板です。


                 お手玉、おはじき、ビー玉・・・子供の遊び道具でした。
                 

懐かしい「下駄スケート」が展示されていました。
田舎の子供は、これでスケートを楽しんでいました。
昔は、足袋でしたから直ぐに足が冷たくなるし
紐で固定しますから足が痛くて痛くて・・・思い出します。


                囲炉裏がありました。
                鉄瓶の下には炭がありますが
                実際には、木材を燃やしていました。
                

昭和19年ごろの泉小学校で実際に使われた机
私も、こんな机でした。(昭31年入学)


                昭和33年11月1日矢板市制により
                矢板市立泉小学校になる。(小3年生)
          日の丸の小旗を振りながら集団下校したのを覚えています。
                

十五夜、十三夜には、この「ぼうじぼ」で地面を叩きながら
「ぼうじぼの歌」を唄いながら各家を廻りました。



他にも、出土した土器類も多数展示されています。
欠けた土器類なども、良くこれで崩れないなと思うほど微妙に着けてあります。

最後の展示室には、矢板市近辺で見られる鳥類の見本も飾られていました。

大変懐かしく見せて戴きました。
思いのほか、書くのに時間が掛かり写真展は別な日に・・・・。








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