先日探し物をしていたら、船村先生の切り抜き記事が出て来た。
ほぼ1年前の記事だった・・・・。
改めて読み直してみると、
北島三郎御大と鳥羽一郎さんのデビュー時の逸話が載っていた。
新聞の細かい字を追ってもいいですが、読者の方の年齢層を考えまして要約しますと・・・・、
◆北島御大
・船村先生が一言いいますと、十も二十も解釈して表現が出来たそうです。
・コロムビア全国歌謡コンクールにも、栃木代表で出たが7位だったとか・・・。
(多分東京代表は、2位になった林田民子さん(後の水前寺清子)と思います。)
(鹿沼市での収録時にそんな昔話をされていたようです。)
・歌謡漫談もやらせたがダメだった。芸名は『ゲルピンぽん太』だった。(漫才は三日間でダメ)
(リハーサルではうまくいくのに本番では相手のセリフを言ってしまう…汗;)
・暫く先生の実家(当時・塩谷村)で、農作業をの手伝いをしていたんですね。
(彼の実家は網元で、その息子ですが・・・)
・やっと「ブンガチャ節」でデビューしても、放送禁止になる。
(キュッキュッキューx2・・・が、わいせつだと・・・)
・変な予感がしたそうで別な歌も用意してあったとか、
急きょ代わりの「なみだ船」が大ヒットに・・。
それからは、スター街道まっしぐらでしたね。
◆鳥羽一郎さん
・話し言葉が聞き取れなかった。
・はだしで新聞を取りに行くので、家の中が砂だらけだった。
・人差し指で茶碗を持ち上げて食事する。
(ここは船じゃないんだから・・、陸に上がったのだからと・・、ようやく直させたそうです)
・デビュー曲・「兄弟船」が大ヒットでしたね。
★北島御大も1962年のデビューで、今年で54年目。
鳥羽さんも1982年のデビューで34年目になります。
お二人共に、まだまだ頑張って下さい。
更に船村先生も、頑張って最後の大ヒット曲をお願い致します。
★以前の拙ブログで、船村先生、北島御大のデビュー秘話を語る! もありました。
良かったらどうぞご覧になって下さい・・・・。
ほぼ1年前の記事だった・・・・。
改めて読み直してみると、
北島三郎御大と鳥羽一郎さんのデビュー時の逸話が載っていた。
新聞の細かい字を追ってもいいですが、読者の方の年齢層を考えまして要約しますと・・・・、
◆北島御大
・船村先生が一言いいますと、十も二十も解釈して表現が出来たそうです。
・コロムビア全国歌謡コンクールにも、栃木代表で出たが7位だったとか・・・。
(多分東京代表は、2位になった林田民子さん(後の水前寺清子)と思います。)
(鹿沼市での収録時にそんな昔話をされていたようです。)
・歌謡漫談もやらせたがダメだった。芸名は『ゲルピンぽん太』だった。(漫才は三日間でダメ)
(リハーサルではうまくいくのに本番では相手のセリフを言ってしまう…汗;)
・暫く先生の実家(当時・塩谷村)で、農作業をの手伝いをしていたんですね。
(彼の実家は網元で、その息子ですが・・・)
・やっと「ブンガチャ節」でデビューしても、放送禁止になる。
(キュッキュッキューx2・・・が、わいせつだと・・・)
・変な予感がしたそうで別な歌も用意してあったとか、
急きょ代わりの「なみだ船」が大ヒットに・・。
それからは、スター街道まっしぐらでしたね。
◆鳥羽一郎さん
・話し言葉が聞き取れなかった。
・はだしで新聞を取りに行くので、家の中が砂だらけだった。
・人差し指で茶碗を持ち上げて食事する。
(ここは船じゃないんだから・・、陸に上がったのだからと・・、ようやく直させたそうです)
・デビュー曲・「兄弟船」が大ヒットでしたね。
★北島御大も1962年のデビューで、今年で54年目。
鳥羽さんも1982年のデビューで34年目になります。
お二人共に、まだまだ頑張って下さい。
更に船村先生も、頑張って最後の大ヒット曲をお願い致します。
★以前の拙ブログで、船村先生、北島御大のデビュー秘話を語る! もありました。
良かったらどうぞご覧になって下さい・・・・。
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