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私が生きた刻(とき)・・・・・船村徹・編-----2

2016年02月18日 12時42分36秒 | 船村徹先生
先日探し物をしていたら、船村先生の切り抜き記事が出て来た。
ほぼ1年前の記事だった・・・・。



改めて読み直してみると、
北島三郎御大と鳥羽一郎さんのデビュー時の逸話が載っていた。

新聞の細かい字を追ってもいいですが、読者の方の年齢層を考えまして要約しますと・・・・、
◆北島御大
 ・船村先生が一言いいますと、十も二十も解釈して表現が出来たそうです。
 
 ・コロムビア全国歌謡コンクールにも、栃木代表で出たが7位だったとか・・・。
   (多分東京代表は、2位になった林田民子さん(後の水前寺清子)と思います。)
   (鹿沼市での収録時にそんな昔話をされていたようです。)

・歌謡漫談もやらせたがダメだった。芸名は『ゲルピンぽん太』だった。(漫才は三日間でダメ)
   (リハーサルではうまくいくのに本番では相手のセリフを言ってしまう…汗;)

 ・暫く先生の実家(当時・塩谷村)で、農作業をの手伝いをしていたんですね。
  (彼の実家は網元で、その息子ですが・・・)

 ・やっと「ブンガチャ節」でデビューしても、放送禁止になる。
  (キュッキュッキューx2・・・が、わいせつだと・・・)

 ・変な予感がしたそうで別な歌も用意してあったとか、
  急きょ代わりの「なみだ船」が大ヒットに・・。
  それからは、スター街道まっしぐらでしたね。

◆鳥羽一郎さん
 ・話し言葉が聞き取れなかった。

 ・はだしで新聞を取りに行くので、家の中が砂だらけだった。

 ・人差し指で茶碗を持ち上げて食事する。
  (ここは船じゃないんだから・・、陸に上がったのだからと・・、ようやく直させたそうです)

 ・デビュー曲・「兄弟船」が大ヒットでしたね。


★北島御大も1962年のデビューで、今年で54年目。
 鳥羽さんも1982年のデビューで34年目になります。

お二人共に、まだまだ頑張って下さい。
更に船村先生も、頑張って最後の大ヒット曲をお願い致します。

★以前の拙ブログで、船村先生、北島御大のデビュー秘話を語る!  もありました。
良かったらどうぞご覧になって下さい・・・・。




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