文化の日大内順子さんが亡くなった
最後に声を交わしたのは10月初旬だった
いつも「比佐子つれづれ」のフリーペーパーが
順子さんの元に届くと
「比佐子さん元気ね」
と電話を下さる
そして長電話でお互いに近状を語り元気を確認する
しかし
突然去られて今呆然としているチャコちゃん先生
ジャーナリストの仕事を始めたとき
一番始めに取材をさせてもらったのが大内順子さん
中原淳一編集のひまわりのモデルでホントウに美しい人だった
その後服飾評論家となり
色んなページをふたりで作った
御主人の宮内先生は文学座の衣裳を担当して入らして
やはり中原淳一一族としてご活躍だった
お宅に行くと宮内先生も出てらして
「比佐子さん着こなしじょうずね」
「比佐子さん其の色よく映るね難しいのにさすがだ」
とか
必ず褒めて下さって
チャコちゃん先生その言葉をしっかり引き出しにしまい込み
落ち込んだりしたときにいつも引っ張り出して自分を元気づけていた
後半三人で食事をしているとき其の話を披露したら
大いに場が盛り上がり
「だから比佐子さんはいつも元気なのね」
とまた褒めていただく
今はもうお二人に会えない
最後に声を交わしたのは10月初旬だった
いつも「比佐子つれづれ」のフリーペーパーが
順子さんの元に届くと
「比佐子さん元気ね」
と電話を下さる
そして長電話でお互いに近状を語り元気を確認する
しかし
突然去られて今呆然としているチャコちゃん先生
ジャーナリストの仕事を始めたとき
一番始めに取材をさせてもらったのが大内順子さん
中原淳一編集のひまわりのモデルでホントウに美しい人だった
その後服飾評論家となり
色んなページをふたりで作った
御主人の宮内先生は文学座の衣裳を担当して入らして
やはり中原淳一一族としてご活躍だった
お宅に行くと宮内先生も出てらして
「比佐子さん着こなしじょうずね」
「比佐子さん其の色よく映るね難しいのにさすがだ」
とか
必ず褒めて下さって
チャコちゃん先生その言葉をしっかり引き出しにしまい込み
落ち込んだりしたときにいつも引っ張り出して自分を元気づけていた
後半三人で食事をしているとき其の話を披露したら
大いに場が盛り上がり
「だから比佐子さんはいつも元気なのね」
とまた褒めていただく
今はもうお二人に会えない