チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 252

2019年10月23日 11時35分27秒 | 日記
生まれてはじめての経験
神麻注連縄奉納の会に参列し、注連縄を上げるまでの行程をともにした
場所は浅草神社
神麻注連縄奉納にたいして並々ならず努力をしている方をかねてから存じ上げていたが、今回はじめてその現場に伺った〔途中で直会のお弁当を頂いて帰ったが)

なぜ?
それは理由がある深い理由がある
浅草神社に祀られていらっしゃる三社様、これぞ江戸解模様の発祥に関わっておられる。こんなチャンスは二度とないと大雨のなかいそいそとでかけた

三社様は
土師真中知命(はじのまつちのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)
のご三柱

時代は推古天皇36年、3月18日
檜前の二人の兄弟漁師は浅草浦(現隅田川)で漁業を生業にしていた
この日に限り魚が網にかからず、木彫りの人形だけが網にかかる。海に戻し場所を変えて網を打ってもまたその人形が網にかかる。数回繰り返してついにその日は一匹の魚が取れず、文化人であった土師真中知にその木像を見せると「聖観世音菩薩」であると告げられ、兄弟はその功徳を知って毎日祈念していたところ、大量の魚をとることができるようになったという

土師氏はその後寺を造り観音様をまつり、僧侶として周りの人を救済することに生涯をかけたという、寒村だったその村は観音様のご利益で有名になり村も発展、兄弟も私財を観音寺に寄贈。その後土師氏の子孫が三人の徳をたたえて観音寺の隣に浅草神社を建立。それが鎌倉初期のころのよう。

説明が長くなったが浅草の取材をしていた頃浅草神社の役員さんたちの着物の柄に目がいき、柄の由来の説明を以上のように受けたのが今から40年以上も前(写真を探したが出てこない)

その後熊谷好博子さんにおあいし、その柄が「江戸解模様」という名前であることを知る(フー長いなあ)模様の特徴は、三社様なので三本の魚網に千鳥、葦が必ず友禅で描かれている

「どなたが考案したのでしょう」
「いやー聞いてないね江戸時代には大奥でも着られていたようだよ、ここに江戸五彩の朱・黄・紫・緑・藍で仕上げる」

江戸の職人たちが考案した江戸観音信仰の模様が江戸解模様であった

コメント
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