チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

原爆が落とされた日

2022年08月06日 10時31分18秒 | 日記
むごいことをされたものだ
日本の土地は永遠に死んだ土地となり草も生えずもちろん人も住めないといわれた。ところが10日も経たず草が生え始めたのだ!
まさしく土こそすべての原動力
土の力によって生命が再生され、人々の生活が始まった

結婚した相手が広島の人で、まずはお墓参りをした
その時あまりのことに言葉が出なかった
お墓に眠る方の新しい死亡日が昭和20年8月6日と刻印されていたのだ、どのお墓にも
「原爆が落とされた町」ということは、もちろん重々わかっていたが、この日付を見たときの衝撃は計り知れない
それから何度かお墓参りをするがそのたびに胸が痛む、そしていつからか、一人でお参りに行ったときはすべてのお墓にご挨拶するようになっていた。そうしないとしないと落ち着かないのだ

夫の従兄が60歳にして初めて語ってくれた話がさらに悲しい
原爆が落とされたときは10歳だった
その日はたまたま市の中心地にある学校の登校日だった。集まった子供たちは用が済んだ後グランドで野球を始めていた、
従兄は夏風邪をひいていて仲間に加わらず、校舎の中からその様子を見ていた
「何か光った!」
猛烈な熱風が吹いてきた。土間に身を伏せて砂塵も落ち着いたので身を起こすと、グランドにいた同級生のほとんどの子の姿が見えず、黑い布のようなものが飛び散っていた
駆け寄ろうとしても体が動かないー---

その重荷を背負ったまま生き続けている自分が幸せなのか、彼らの人生が10年でもぎ取られー---
と言葉が続かない、聞いている私もその先を促す言葉もない

その日従兄もお墓にお参りに行っら、私が一つ一つのお墓に黙とうをささげている姿を見て、自分がずっと誰にも言わず黙っていたことを話したくなったのだと、寺の縁側でセミの声を聴きながらとつとつと話して聞かせてくれた

その従兄はそのあとすぐがんで亡くなった
コメント
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