チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

お米を食べない人達

2022年09月16日 09時11分01秒 | 日記
お米の刈り取りが始まり、いよいよ秋ふかし
お米が体を弱める諸悪の原因と思っている人が多いのに驚く
米が金貨と同じ位置にいた時代は長い、というより日本の財はすべて米が単位であった
百万石殿様というのはお米が100万石もとれる土地を采配している殿さまということだった
穀持ちは名字がもらえたので「石持」という白いママの五つ紋に家紋を入れることが出来た
今でも黒紋付の既製品には、五つ紋を入れる白抜きにした家紋の場所があり、それを「石持」と呼んでいる

というほどに「米」が家柄、家の財政、家の生活の基本をなしていた
白米はすべての栄養を削ぎ落すので米の糟、そんなの食べても意味ないよという人が近年とても増ええた
しかし日本人はその糟を使って糠漬けをしている

勿論玄米が一番いいに決まっている
玄米を300回噛めばすべての栄養はそれで満たされるという人もいる
玄米をおいしくいただくために「酵素玄米」にするという方も増えている
五分衝きにするとか麦を入れるなど、お米の食べ方をいろいろ工夫をしている人もいる

戦前はどんな家庭でも白米のご飯を毎日食べることはなかったとおもう。麦が半分とか、三分の一とか、一割とか、また玄米を五分衝き、三分衝き、そういう食の仕方がふつうであった
白いご飯はお赤飯の次の祝い事、祭りや、誕生日つまり「晴」の食べ物

街のお米屋さんは夏は氷を売り、冬は炭を売っていた。そしてその店には玄米を白米に衝いてもくれて、主婦たちの情報交換の場でもあり、お米が衝き上がるのをお茶を飲みながら待っている姿があった。また大きな家のお手伝いさんたちの憩いの場でもあったようだ

白いお米を常時頂くようになったのは、昭和も40年以降ではないだろうか、減反政策がいきわたり、麦の生産も減少、輸入小麦のパンや牛乳の食生活が奨励され、お米屋も姿を消したら、玄米を衝くところもなく、都会の人はみんな白米になった

しかしこれまた白米っておいしい‼

減反政策は失敗、輸入食物に頼らなくても、減反をやめれば日本人の食べ物は十分に賄える

地方に取材に行くたびに、草ぼうぼうの田畑を見て唖然とする、減反何たる愚策!

コメント
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