「続・きものという農業」の増版が決まった
校正中なのだが何回見てもミスがある
基本的に読み返すことのないチャ子ちゃん先生の性格は担当者が大変
今回は「きもの」のことは全く分からない、今回だけではない前回もそうっだった、きものが日常に自分の周りにない若い編集さんにとって、他国の文化を知るような感覚らしい。そのため言葉の意味が解らないことが多く、大変な思いをしていらっしゃる
知らない言語が多いので、書いた原稿はそのままになることが多い。その書いた本人が間違っていればことが大変。特に最近は手で書かないので、パソコンの転換を鵜呑みにしてというより身もしないで、うってしまう。
きものにまつわる言語は、すべてに意味があり格言にも用いられていることも多い
糸を縒るという言葉が「縒りを戻す」なんてことに使われたりしている。こういう言葉が日本語にいっぱいある
きものの本は売れない、チャ子ちゃん先生ちょうど今回の本で35冊目の本を出版しているが、印税では全く食べていけない
増版になったのはそのうち4冊だもの。着付け専門の本はよく売れるらしい
昨日も「文化はビジネスにはならないよ」といわれたけどその通りだ
だけど着物が果たしている日本の文化を発信していきたい、黙ってひたすら糸を吐く蚕の気持ちを代弁したい。そう思う。蚕にしてみれば、そんな事構わないでというかもしれないが、あの小さな体から生まれる糸が、卵が日本を近代国家に導いたのだもの、それを語らずどうしてくれる。なんて意気込んでも仕方がないが
日本はモノづくりを他国へ渡してしまったが、今この時代はもう一度感性のある日本人の手でものづくりが始まりつつある。野菜や果物まずは食からその潮流がうまれた、着るものも石油繊維より自然素材という風潮が生まれつつある、きものもあるものをリメイクして、絹のすばらしさを肌で味わう、そういう風潮になってきたのがうれしい
これから先人たちの智慧が生きてくる社会になっていく、そういう時真摯にものづくりをしている人たちの姿が私たちに生きる光明を与えてくれるのではないかと感じている
きものを識ることでやはり日本が見えてくる。