モノを買わないと必要なモノが集まってくる、
昔からこの手のことはよく言われてきた。しかしなかなかできなかった
モノヲ持つ方が正解という日常だった
過去いろんなモノ持ちを見てきた、眼鏡50っこ、時計20個、靴100足、洋服数知れず、きものもしかりなにもかもモノにあふれている人たちが大勢いた。そのために広い部屋も必要で、それ等を賄うために収入も多くしなければならない、いかに稼ぐか、しかも労働をしないで、お金がお金を稼ぐ方法が多くの人に教えられた
戦前の教育だった「いいものを少なく持って大事に使う」という日本人の気風は一気に消えた。
今この4年間のつつましい生活の中で、人のモノに関する考え方も変わってきた。というより本来の姿に戻ったというべきか
買わない習慣が身につくと、モノに対しての感謝が深くなる
今外国からのお客さんたちが、デパートを始めいろんな場所で爆買いをしている姿を見て、一昔前の日本人の買い方を思い出す
モノを持つことが安心という神話ができていた。だからモノは大量生産をするものと決まっていて、たくさんのモノが作り出されていた
きものもその一つで不動産や株で当てた方が、一つのメーカーのきものを1000枚も持っていた。衣装蔵を建てた大金持ちがいて、その虫干しを手伝ったことがあるが「疲れただけ」
面白いのはその時手伝っていたデパートの番頭さんが「先生何かまだ足りないものありませんか?それをおっしゃってください」とチャ子ちゃん先生に頼み込む、きものは何百枚とあるのに長襦袢や下着が何枚という数だ。表の高額なものしか売るつもりがないとみたので、返事をしなかった。この衣装蔵の主は、どうもきものなぞ着るつもりはないらしい。足袋も5足くらいしかなかったしみんな新品
このような人の着物が今市場に出ているようだ、モノが人のものになって生き返るのだとしたら喜ばしい
いいものを持つということは、本物の職人を育てることにもなる。大量生産は機械の発達だけが進む
必要なモノだけに囲まれる幸せはパンデミックのおかげかも