今さらながらなのだが「茶道」の作法を教わることで、日本人としての根本的な作法は身につく
頭で理解するのではなく、体が覚える
茶室の中のしつらえから書道、華道,香道、礼法、更に季節感、モノの扱いかた、会話の作法、声の出し方、音の受け取り方、歩き方の基本などなど、この茶室の中にすべて詰まっている、
物心つくと「お茶のお稽古」をさせられた昭和前期までの女たちは、家でのしつけのほかにこういう衆目の場での躾を目指していたのだとわかる
つまり茶道が基本中の基本で、他にお琴や仕舞などがあり、そして日本舞踊、三味線、などに広がっていくのであろう
謡曲や常磐津は男の稽古事、他に弓道や、剣道、柔道なども
日本人の稽古事は精神を整えるということに種目を置いているので、勝か負けるという感覚はそこには生まれない
時々明治神宮に散歩に行くと少年剣士たちに会う、すれ違う時彼らは美しいお辞儀をする
お辞儀といえば先日鳥居をくぐる前、厳かで美しい「真」お辞儀をしている男性を見かけ、思わずついていった
チャ子ちゃん先生といえば鳥居では「草」のおじぎしかできていない
この男なんだろう?本殿に入っても「真」のお辞儀、こちらもついつい丁寧なお辞儀になる
そしてパーカーの頭巾を取って本殿にて挨拶する姿を見たら「市川團十郎」その人だった。舞台での作法を幼少から鍛えられていたのだなと納得。あとでうわさ好きの知人に聞いたら、この明治神宮の近くに住んでいらっしゃるとのこと。散歩なのだ
鍛えられた人は何気ない場所でも、きちんとした作法ができて当たり前なのだろう
明治の始め、新政府の使節団がヨーロッパに行ったとき、フインガーボールの水をお薄を飲むようにして飲んだ人がいて、なみいる列強のフランス人がその作法をまねした、という誰かの日記を読んだことがある
文化の違いはいたるところにある。自国のやり方を押し付けるのがいいのか、相手の文化に迎合するべきなのか、正解はないと思うけど、自分に自信を持ち誇りがあればそれは相手も承認することになるのだろう
茶道で培われた作法はどこに行っても恥ずかしくない