チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

悪を抱き参らせる

2022年03月15日 09時23分14秒 | 日記
キリストの愛が
「今自分を殺そうとしてる人おも愛することが出来る」
日本の神の愛は
「悪も善もそれぞれお役があり、悪を亡ぼさず、悪を光に変えてしまうのが愛」
チャ子ちゃん先生の理解だけどーー

悪は何か?
それは神の義に外れていることでしょう?
人間を作った人の思いを忘れ、「自我」を主に生きてしまうことではないかな?
人間以外はみんな自分を生んでくれた人の思いを生きているので、姿かたちも美しく、香りも高く歓喜に満ちている

日本は15000年も争いの全くない時代を過ごしている。縄文時代だ
その時の人々の暮らしぶりが、それぞれの遺跡からうかがえるが、其れこそ善とか悪という二極性ではなく、「神を神として」感謝し生活しているので、神から与えられた知恵を存分に生かすこともできた

私は時代の布から社会を判断するのだが、縄文の時代にすでにいま結城紬が織られている地機や糸の紡ぎ方の技術が見える
旧約聖書の時代の布は加工せず布を体に巻くというスタイルだが、縄文では上着も下着も人の体に合わせたものが作られている
神に教えられたことを素直に忠実に実行した結果であろう
当然病や痛み悲しみもあったと思う、そういうことも「長老たち」の知恵でより安らかな方向を見せていたはずだ(今でもアーミッシュで実行されている)

自分だけが権力をもって、他の人を奴隷で使うという考えは弥生になってからだ。長野県の岡谷のあたりで弥生人が縄文人を追い払った形跡が見えるが、縄文人は無抵抗、北へ北へと逃げていくか、その地で強調し合って生きている。「悪を抱き参らせている」のだ

長い長い争いの時代が、日本人の「悪も光に」という感覚で幕を閉じていくのではないかとひそかに期待している
それには日本人の「神を神とする」という思考をそれぞれの人が思い出すことが先決だが


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