昭和天皇が
「堪え難きをたえー--」というラジオ放送して
連合軍からもう降伏しなさいと勧められた「ポッダム宣言」を受諾したことを国民に告げた。この時点ではまだ戦争は終わっていない
だから遠い戦地ではこの時も戦争中だった
「どうも戦争は終わったらしいよという認識しかなかったと、復員してきた人たちが話していた
それまで天皇陛下は「現人神」であられたので、下々の民衆はお顔も見てはいけない、まして肉声を聞くなんて考えられなかった、だから天皇陛下の放送を「玉音」と言って大人たちは正座し頭を垂れて「神様のお言葉」の放送を聞いていた
1945年9月2日ミズリー号の船上で「降伏文書」に調印
1945年9月8日に連合軍側とのサンフランシスコ講和条約が締結し日本は無条件降伏を受け入れ、正式に戦争が終結
この時日米安保条約の締結 占領軍が日本列島に駐留
中国、朝鮮との賠償問題も一括処理で決着(その後の諸問題の言いがかりはおかしい)
そして日本は敗戦国として今日まで自立が出来ていない
戦争の名称も「第二次世界大戦」と一般に言われているが、戦争が終わるまでは「大東亜戦争」と呼んでいた
この文字にあるように日本は亜細亜の独立のためにも戦った
ヨーロッパや中国の植民地だった国々は、日本の軍人たちによって独立の手助けが行われ戦争が終わってもその地にとどまって、独立戦争の応援をした日本兵は大勢いる
今でもアジア諸島に親日国が多いのは「日本を尊敬してくれている」からであろうか
戦争によって、また安保条約によって日本の日常に必要なものをいろいろなくしたが
「言葉」が無くならないのは幸せだった
言葉がある限り日本人として生活できる
そしてアジアの国ぐにの独立を助けたという誇りも失いたくない、それは命がけで戦った方々への感謝でもあるから
8月はいろいろと考えさせられる
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます