お盆休み
両親のこと、姉兄、子供のころ、緑の風を頬に受けながら、自分で炒ったコーヒーを味わいつつ、過去のことあれこれ考えていると、身のすくむような恥ずかしいことばかりが思い浮かぶ
母に反抗し続けた事
友人やスタッフを傷つけた事
偉そうな態度を取っていたこと
ある時
「恥ずかしいことばかりやってきた感じがする」
とある人に話したら
「存在そのものが人を傷つけているということもあるね」
(では存在そのものが人を癒すことが出来る人になろう)とひそかに決心した
それは具体的に「魂を磨く」ということになるのだかけど
「魂を磨く」というのも抽象的だ
それにはどういう生き方がいいのか
試行錯誤の日々の中で、やはり恥ずかしいことばかりが表に出る
お盆というのは先祖を迎え、感謝しながら一緒に宴を囲み、そしてまた送り出す。その時先祖だけではなく、自分自身の過去も一緒に送り出してしまうということも含まれているのかもしれない
と思いついた
今日は自分自身の恥ずかしい過去を書き連ね
それをあちらの岸に送って
明日から生まれたばかりの自分に戻って生きて行こう
京都の送り火も今日
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