博物館や美術館でちょっと気に入った小さなノートを見つけるとすぐ購入
持ち帰りそれに自分自身のことを書き連ねる作業をする
よく
「自分のことがわからない」
「自分のことは自分が一番知っている」
と両極端の言葉を耳にする。どちらも真実だと思う
と同時にどちらも違うー-とチャ子ちゃん先生はかんがえる
人はあまりにも自分を知ろうとしない
人はあまりにも頑なに自分を知っていると思い込もうとしている
勿論私も自分が分かっていない
人に映る自分を知ろうと躍起になっていたこともある
人にどう思われているかということを心配していたこともある
しかしある時
「この私を作ったのは誰?」
両親から生まれたことは確かだ、しかし此れは二人の作業ではなく、もう一人が参与していた、それは「神様」三人の作業の中で「私」という人間が作られた。では作ってほしいと希望したのは誰?それは「私」
そこに気が付いた時
「どういいう私になりたかったのか、この地球で何をしたいのか」それが分かるのは本人である「私」しか知らない、しかもその内容を知っているのはこの地球に私を送り出してくれた「神様」だ
なー-んだ
「私」と「神様」は一対なのね!
とノー天気に考え、何もかも自分自身に問えば答えはすべて「私」が知っているということが分かった
しかしながら「我」や「拘り」「頑な」という三つのサタンがいつも同居している、その為に行きたい途が途絶えたり、やりたいことが出来なかったりして、自分を責め、社会や、仕組みや、人のせいとして逃げる
それでノートに我が身を俯瞰して善きことも、悪きことも様々書き出してみると、ほんとうの「私」が浮き彫りにされる
ここの所失敗が多いので先日購入した手帳に書き連ねたら、事態が急展開してきた。めでたしめでたし
本日20時から「チャコちゅうぶ」でー-す
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